エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

最初の意味あるやりとり こころの元型

2013-05-12 04:57:07 | エリクソンの発達臨床心理
 見て知ることは、人間にとって、非常に強い意味があることを教えられました。今日は、何もしなければ、人の心の奥底にずっと残る、心の元型、やり取りの元型についてです。それでは翻訳です。





 それじゃ、何を前提としているのだろうか、と言えば、それは、その赤ちゃんが、自分の感覚、なかんずく、自分の眼を用いて、周りのものをよく調べて、繰り返し、見失われ、再び見つけられるものに、新たに価値と存在と事実を認めることは、最初の重要なやり取りである、ということです(後で、たとえば、イナイ・イナイ・バーのような遊びで、繰り返し試すことができます)。その最初の意味あるやり取りは、生後12週のころに確実に現れる、赤ちゃんの笑顔がご褒美になります。その笑顔は、そのお母さんの顔がサイン・ゲシュタルトになっていますし、もちろん、それ自体、生まれたばかりの赤ちゃんだけが伝えることができる、(あらゆる意味での)リコグニション、すなわち、価値を認め、認められること、存在を認め、認められること、事実と認め、認められること等の意味でのリコグニションを親が望まずにはいられなくなる点で、力強い喚起力のある刺激です。なぜなら、(生き延びるためという健全な理由で)微笑む赤ちゃんには、関わりのある大人が自分を重要で新しい人と感じる、その感じをもたらす力があるからです。






 ここは、短くとも非常に重要です。赤ちゃんが周りを見て、繰り返し見失い、再び見つける対象で、最も大事な人(the prime other)はもちろん、お母さんです。赤ちゃんは、視野からいったん失われていたお母さんを認めると、赤ちゃんは素敵な笑顔を浮かべます。その笑顔を、お母さんの顔を赤ちゃんが見ることによって(お母さんの顔がサイン・ゲシュタルトになって)、もたらされるものです。しかし、逆に、お母さんは、赤ちゃんのこの笑顔を見とる、嬉しくなって、自然に笑顔になります。なぜなら、その赤ちゃんの笑顔には、自分が、一人の人間として、母親として、価値を認められ、「新しい人」になった感じがするからです。これが人間の最初の意味あるやり取りとエリクソンは言います。それは、Ritualization in Everyday Life の第1節、赤ちゃんの頃のところに詳しく出てきましたね。赤ちゃんとお母さんがお互いの価値を認め合う最初の儀式化です。赤ちゃんもお母さんもこの時、ヌミノースを感じます。赤ちゃんは根源的信頼感(a sense of trust, Urvertrauen)を感じ、“希望”という力であり徳であるものを身に着けることができます。お母さんは、赤ちゃんのことを価値ある者と繰り返し認める人になります。最初の儀式化を行う人になるわけです。お母さんはこのようにして、“次世代を生み出す力”という力であり徳でもあるものを身に着けることができます。
 そして、この、見失ったものを再び見出す対象が、希望そのものである瞬間が、あらゆる再生、あらゆる復活の時であり、「新しい人」となり、また、自分を再び確かにする、新しい時でしょう。 これは、あらゆる宗教の基盤です。たとえば、ルカの福音書第15章に、「見失ったものを再び見つけ出す」3つの物語、すなわち、「『失った羊』のたとえ」(99匹の羊を残して、1匹の迷子の羊を探す話で有名)、「『無くした銀貨』のたとえ」、「『放蕩息子』のたとえ」(様々な絵画やいくつもの物語になっています)が並んで、世話をしてくれる母親(provider)のような父なる神(Provider)と信仰(信頼)のあり方を示しているのは、偶然ではありません。
 今日はここまでとします。
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