エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

見て知るは、パンよりも強し

2013-05-11 05:32:18 | エリクソンの発達臨床心理
 眼差しは、その人の心の態度を示す鏡だからこそ、眼差しを向けられた子どもにとって、恵みにも、呪いにもなる。この、跳びあがるほど嬉しくて、身震いするほど恐ろしい、眼差しの働きについて、教えられました。長い第6段落の後の第7段落は短いものです。今日は、第7~8段落を翻訳します。





 認知と情緒がともに成長するこの領域では、視覚の力が、すでに申し上げた2つの意味で、発揮されます。視覚の力の2つの意味とは、十分に発達した感覚を用いて事実と認められたことを理解する力と、もう一つ、「いつも何度でも」繰り返され、頼りになると認められたことが、手に入ると見通す力です。
 でも、この全ては、遊びと何の関わりがあるのでしょうか? ヘインズ・ワーナー講義において、ブルーナーが主張していることは、「…赤ちゃんの感覚器官は運動器官が使い切れないほどの情報をもたらします。」その結果は「赤ちゃんの頃は移動することができないままに、身の回りのものを捉える期間が長くなったので、空間の構造は、移動することからは自律的に、何とか組み立てることができるようになりました。」さらに、スピッツが、視覚が最も大事だと主張していることに助けてもらって、ブルーナーが一つの実験に対して行った巧みな記述を説明しましょう。すなわち、生後6週間の赤ちゃんは、おっぱいを吸う仕組みと結びついています。そのおっぱいを吸う仕組みは、今度は、プロジェクターと関係しているので、その赤ちゃんは、おっぱいを、力とスピードを様々に変えながら吸うことによって、スクリーン上に、ボーっとした、あるいは、クッキリとした、一つの絵を描いきます。ブルーナーは次のように結論を出します。「人間の赤ちゃんの時期の初めから、良い視覚刺激は、同心円状にまとまり、輪郭がクッキリしていれば、おっぱいを同時に吸うことを止めさせる力があります。このことが示しているのは、生まれたばかりの赤ちゃんが持つ、知ることを求める気持ちは、おっぱいや心地よさを求める気持ちに必ずしも負けない、ということです。」





 人間が、知ることを求める気持ちがいかに強いものか、そして、その気持ちは、パンや安楽に勝るとともに、見ることによって支えられている、ということが分かります。「見て知る」ことがいかに人間にとって大事か、よくよく分かりました。そして、この論文のタイトル通り、「『見て知る』ことは、望むこと」なのです。
 今回は、こんなところで。CU.

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