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Identity and the life cycle 『神様と一心同体になること と 神様の命が一巡すること』 p.70の,第2パラグラフからです。 その前も,ご一緒に。
≪私≫が生きている実感に則って行動して善いこと 対 ≪私≫が生きている実感に恥を感じて,それが親がいけないのか自分が悪いのか迷うこと
スポックの本『1歳の赤ちゃん』,『上手な子育て』で論じられている項目を見渡してみると,私どもは,我が家には,このような問いを発する被造物達はいなくても,自分が子どもと様々な言い争いをして,勝ったり,負けたりしている現実を思い起こすことができますでしょ。
元気いっぱい
冒険したい気持ち
もっと頼りたいし,同時に,もっと1人でやりたい気持ちになる。
あちこちに動き回る赤ちゃんのために,家の中を配置換え
事故を防ぐ
赤ちゃんの手の届くところに,毒になるものを置かない時
自分のことは自分でできるようにするにはどうすればいいのか?
物を落としたり,投げたりすること
子ども達が自分の攻撃的な気持ちを収めるようになる
噛みつく人間
寝る時間を良い時間にする
夜になっても寝ようとしない幼子
私が選んだ項目は,ここで示した様々な問題の一覧表と範囲をお伝えしようとしています。ただし,ここでは,スポック先生の優れたアドヴァイスやバランスの良さを検討しません。このバランスの良さは,とても分かりやすく,しかも,事実に即して描いている点ですが,子育ての場は,ほかの創造の舞台でも,この優れたアドヴァイスとバランスの良さに従って生きるのが善いでしょう。それにもかかわらず,不吉な様々な力の兆しが1つあります。その不吉な力は,方や縛り付けられた,方や解き放たれますが,特に,対等でない親子2人の意志がぶつかり合う時には,子どもの不吉な力は我慢させられるのに,親の不吉な力は解き放たれてしまいます。というのも,その子どもは,自分の暴力的な衝動と釣り合いませんし,親子も互いに対等ではありませんから。
この創造の舞台で,何よりも大事なことは,筋肉が育って,その結果できることも増えてくる(できない,と感じることも二重になります)中で,「我慢する」と「手放す」という2つの非常に相矛盾する行動バターンは,まだまだ人に頼りっきりの幼子が,自分が生きている実感を自分の法則,自分が生きていくときの人生の習慣にしたいと願い始めるのに,途轍もなく重要だ,ということです。
精神分析が私どもの言葉を豊かにしてくれたのは,「お尻の穴」という言葉です。「お尻の穴」とは,特別な心地よさと強情さを示し,この創造の舞台では,様々な出す所と関係します。お腹や膀胱を,できるだけ空っぽにする全ての道は,「心地よく感じる」ご褒美で始まるものです。上手にできると,「上手,上手」と言われます。このご褒美は,人生の始まりにおいて,お腹が毎日仕事をする時の不快感や緊張を埋め合わせるはずです。赤ちゃんとお母さんは,赤ちゃんが,≪私≫が生きている実感を尻込み・我慢せずに済むようにお互いを振り返り,聖書の神様の命が一巡するようになります。素晴らしい立ち姿で立つことができて,筋肉が創造のために整えられると,≪私≫が生きている実感に従って歓んでやる意志がノビノビと育つ場合がありますし,≪私≫が生きている実感を落として,なくしてしまうことになる場合もあります。しかし,母子の出会いを研究する新たな評価は,母子を固く結びつける様々な絆があることに限りません。実際に,創造する唯一の力,強い影響力のある上等な唯一無二の生命力(である,聖書の神様)は,≪私≫が生きている実感を落として,捨ててしまうことになることもあるし,≪私≫が生きている実感を控えたり,出して生きたりすることを,お互いにする場合もあります。
お尻の穴に関する限り,この点では,全ては,文化的状況がお尻の穴を大切にするかどうか次第です。両親が,お尻の穴が出したり引っ込めたりする行動の仕方を大切にしないで,年上の子ども達が,よちよち歩きの子どもを茂みに連れていくのに任せて,お尻のことはキチンとしたいと思う気持ちが,目上の子ども等の真似をしたいと願う気持ちと一致するようにする文化もあります。私ども西洋の市民社会,特に,市民社会のかなりの階層の人たちは,お尻の穴のしつけを,かなり厳格に考えます。まさに機械化の時代によって,機械みたいにしつけ,間違いなく働き,いつもきれいで,時間通りで,しかも,無臭の身体であることが理想である,と見なされるようになっています。それに加えて,大なり小なり,意識的な正しいと思われているのは,赤ちゃんの時に厳格に躾けることは,「時は金なり」とされ,規律正しいこと,時間通りであること,成功することが持て囃される機械化の時代の波に乗ってうまく立ち回れる人種になるためには,絶対に必要なことだ,ということです。これが意味することは,私どもは,厳しく躾け過ぎだ,ということです。つまり,子どもは,躾なければならない動物か,設定し,調子を合わせなければならない機械みたいに思っています。たほうで,実際に,人間らしい品性は,少しずつしか成長することができません。いずれにせよ,私どもが臨床をしていて分かることは,私たちの時代の精神過敏な人は,「過剰に強迫的な」タイプだ,ということです。「過剰に強迫的な」タイプの人は,下のことだけではなくて,愛情,時間,お金の点も,ケチで,がめつく,細かいもんです。うんちとオシッコのトレーニングもまた,私どもの社会はやらなくてはならないことがたくさんある中で躾をする際に,一番厄介な躾になっています。
それじゃあ,何で,お尻の穴の問題が,大切で,しかも,困難なのでしょうね?
お尻の穴,という身体部位は,身体部位の中で,互いにぶつかり合う2つの力の上で,ぶつかり合いから,復活して,私が生きている実感がハッキリと不動の心の習慣になるのに,一番役立ちます。というのも,第一に,お尻の穴は,互いに反対のことを言い合う行動パターンのための身体の部分だからです。互いに反対のことを言い合う行動パターンとは,すなわち,「尻込み・我慢」と「敷居を超え出る」が代わりばんこになるものです。第二に,括約筋は,締め付けると緩めるの2重の意味のある筋肉, 曲げると伸ばすの2重の意味がある筋肉だからです。ですから,この1歳前後の舞台全体が,≪私≫が生きている実感を自分の法則にするための,1つのぶつかり合いになります。というのも,1歳前後の赤ちゃんが,自分の足で立つ準備ができているように,赤ちゃんは,自分の世界を,「私は」と「あなたは」,「私に」と「私のもの」という話し言葉で,仕切るからです。お母さんであればどなたでも知っていることですが,子どもは1歳前後の舞台では,ビックリするほど素直なのは,自分がすべきことを「望もう」と心に決めた場合です。ところが,1歳前後の赤ちゃんが,すべきことを望むようにするのに頼れるお祈りを見つけられません。お母さんであればどなたでも知っていることは,擦り寄ってくるときには,とても愛らしいのに,大人を押し退けるときには,とても冷たい,ということです。1歳前後の赤ちゃんは,いろんなものを大事に貯め込見がちであると同時に,いろんなものをポイと捨てがちです。いろんなものを独り占めにしたいのに,そのいろんなものを窓から捨てたいのです。ですから,こういった,一見相矛盾する様々な傾向は全て,我慢と出すという決まった行動パターンのもとに含めます。
母子の間で,あ互いに,相手の行動パターンに自分の行動パターンを合わせあうことを生み出すことが,一番厄介な試練に直面します。神様の命の回転とは逆向きに,あまりにも厳格に,しかも,あまりにも早期に,お母さんが外から赤ちゃんの行動パターンを,回そうとするお母さんの気持ちが,赤ちゃんが自分のお腹や他の働きを,歓んで,自由な選択によって,「一つ一つ」自分でやろうと努力する赤ちゃんの気持ちを奪うことの上に立つ結果になりますと,その赤ちゃんは,1つの2重の反抗の顔と1つの2重の敗北の顔をします。
民主主義や気高さとは,逆方向です。
神様の命が回転する,互いに大切にしあうこと,とも,逆回転です。
ですから,上に立つのはやめて,下に立つ,あるいは,間に立つようにすると,アンダー・スタンド,なるほど本当だね,と判ります。
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