#聖書の言葉 #単独者の恵み #2人の私
#生きている実感 と #小さな歯車 #死に至る危険 Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 P.102,第3パラグラフ,下から4行目途中から......
「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 ,第2章第3節「毎日礼拝」の件が終了。
第4節「毎日礼拝の復権」の途中,P.116の第3パラグラフから。
今朝は,その6行目から。
毎日礼拝があまり役に立たないなどという様々な疑問全てに関して,2つだけ言わせてくださいね。私が申し上げたいことは,第1に、かつてないほど全人類を巻き込み,とても危ういバクチにもなるかもしれい見通しも定かではない中で,今日の工業化した文明が試みている様々な生き方を探し出すこと,すなわち,人間の赤ちゃんの時期を,改めて毎日礼拝にすることが大事だ,ということです。第2に,大人同士の関係の在り方も,さまざまな学問を巻き込んだ研究が必要になることでしょう,という事も申し上げたいのです。しかし,(訳注:もう1つ)申し上げたいのは,1960年代の若者達のバラバラな反乱の中には,聖書の神様の,イキイキ晴れ晴れとしたいのちが一巡する,毎日礼拝を復権させたいという,世にも重大な問いかけが,結界の中で,問われていた,という事です。
1960年代から1970年代の世界的な若者の反乱。もう知らない人の方が多いでしょう。かく言う私も,同時代性という意味では,なんとなく知っている世代の最後くらいかもしれません。
でも,西村秀夫先生や,早稲田の先輩,阿木幸男さん、最首悟さん等の当時の体験を直接伺うことが出来ましたから,体験最後世代の中では,当時のことを分かっている口なのかもしれませんよ。
日本でも,全共闘の学生らの反乱の中に,人格的な問いを見出したのが西村秀夫先生でしたね。
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