心の病は、ウソとゴマカシから 改訂版プレイフルな関わり 改訂版 楽しい時間、と言ってもピンとこない人もいるんでしょうか? 子どもと毎日接していて、「楽しい時間」程肯定的なことはあり......
Toys and reasons. p.31から。
子どもの年齢にもよりますけれども,いろいろ質問したり,おもちゃをアレコレいじったりして(そういう場合,子どもが最初に手にしたおもちゃが,とっても意味があります),時間を稼ぐ子もいます。ところが,まもなく,解決しなければならないテーマとある種の表現の形のある,1つの課題に一心不乱になるものです。そうして,その子が作った積木は,突然,終わりを告げることになりますね。しかも,多くの場合,「僕が作りたかったのは,これだ」,「出来た」と言いたげなポーズや顔をするものですよね。
これはセラピーが非常にうまくいったときのことですね。子どもはキラキラした眼を,例外なくしますから,必ずそれと分かります。
ある小学生のケースでは,その小学校の教頭が「子どもって,あんなに変わるんですね」と,こちらも目を輝かせながら言ったものですよ。
子どもが「出来た」と言うのは,イエスが十字架で「出来た」(テテレスタイ)と言ったのと,同じだと,私は強く感じています。
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