#感性 3次元の現実 #エリクソンのライフサイクル心理学が実際的である所以教室に入れない子…子どもの脳 発達トラウマを癒すのは、真実な関係 耳のお話 嗅覚も素晴らしい。 The Sense of Wonder 『不思議を......
「発達トラウマ障害」Enpedia と
発達トラウマ障害を英語で・英訳 ‐ 英和辞典・和英辞典 Weblio辞典
をご参照ください。
昨日の続きです。
Young Man Luther 『青年ルター』p.218,第2パラグラフから。2訂版。
ルターが強調したのは,スピリットがいまここにいてくださる,ということですし,初めからいつも,立って=復活していなくてはならないことが,聖書の神様を信頼する信頼の,1つの行動計画であるばかりではなくて,精神分析が「強い自我」と呼ぶ心の状態を司っている,時間と空間に対する最高の態度に似ていますよ,ということです。自分にとって,自分の過去は変えられないものではありませんから,迫りくる悲しく運命になりそうなものとして経験するばかりのものじゃぁ,ありませんよ。むしろ,過去は,いまここを最高に生きる生き方の一部になります。今ここを最高に生きる生き方は,過去を,忘れたり,書き換えたり,理想化することで,自分の過去を,今ここを最高に生きる生き方にピッタリ合わせるのにビッタリな善い方法を活用します。でも,知らないうちに,人をだましたり,わざと悪いことをするわけではありませんよ。自分は,過去の敗北や失敗を,(訳注:聖なる諦めとして)諦めて,将来できそうもないことを自分に課すこともなくなります。自分は,いまここで陽気で楽しい気分を楽しむものですし,様々な迷いや様々な思い煩いに苦しむことはありませんからね,という思い全てが,一番当てにならないということを防いでくれます。それは,一番容易な,一続きになっている経験は,そういえば,いまここが1つも傷がないくらいに最高だ,ということと,瓜二つだね,と思い出すからです。ですから,全うな人にとって,毎日は,聖書の神様と一心同体になること(訳注:と,その驚きと感激)の連続に自ずからなります。ですから,全うな大人は,死が怖くなります(フロイトさんも熱心に指摘してますでしょ)。まっとうな大人は,死に囚われませんから。むしろ,全うな大人は,生きているのに死んでいるのが嫌なんです。生きているのに死んでいるとは,悪い良心,自分勝手に自分が願う願い,現実(訳注:身勝手な組織の都合)に振り回されることです。逆に,悪い良心,身勝手に自分が願う願い,現実(訳注:身勝手な組織の都合)に,日々繰り返し勝る生き方は,全うな大人にとっては,天にも昇る思いですから,全うな大人は日々自分の人生を始めます。
… ルターの神学的な見直しは,1つの心の真実を示しています。つまり,自分は「行いの中」でも,「思いの中」でも,強くなれる,ということです。つまり,強くなった自分は,自分勝手に願う願いの力の圧倒的な力も,悪い良心の圧倒的な力も,受け止めることができるということです。ただし,そのためには,強くなった自分は,ルターの言葉では「神の御手の働き」を豊かにしなくてはなりませんね。つまり,「神の御手の働き」が豊かになる,とは,務めを果たすことが,相手を自分のように大切にすることとピッタリと一致する,ということです。務めを果たすことが,相手を省みて自分のように大切にすることとピッタリと一致する時だけ,私どもが聖書の神様と一心同体になることが,なんて素晴らしいんでしょう と腑に落ちてわかりますし,聖書の神様と一心同体になることが,誰にも奪うことができない,不動なものにもなります。務めを果たすことが,相手を省みて,自分のように大切にすることとピッタリと一致すれば,(訳注:いつも聖書の神様から内的に促されますから)聖書の神様という第三者の判断にハッキリと従うことが,今ここを最高に生きる生き方になりますし,受け身になることをハッキリ示すことが,相手が能動的にこの世を生きるために,いつも新たなエネルギーをプレゼントすることになります。悪い良心でも,逃げずに正面から見据えれば,自分のために役立つますし,うつろいやすい気持ちも,陽気で楽しく,自覚して,自分から取り組むことによって,やる気にすることができます。
もしも,自分が悪い良心を見据えることもできず,うつろな気持ちを自覚しなければ,フロイトが「例のあれ」と呼んだものに支配されることが特色の,第3の心的時空の餌食になってしまいます。この立ち位置の危険性は,フロイトさんが生物的な本能と考えたものから生じますし,その生き物としてそうせずにはいられない気持ちを,自分は自分の下側や,自分の外側で体験すると同時に,生きているものとしてそうせずにはいられない気持ちのために,毒を盛られることになります。
これは実のリアルな話です。
そうせずにはいられない気持ちに支配された人は,毒を盛られていることに,気が付きません。自覚なしです。それどころか,自分は「とても立派なこと」,「正義」を実行している,とみなしているんです。恐ろしいことです。
しかし,実際は,子どもを心深く傷つけているわけです。あらゆる善意の暴力,あらゆる善意の虐待のからくりです。
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