今日のエリクソンは、初期キリスト教徒たちがいかに自分を確かにする道を得たのかについて、記していましたね。それは、自分以上、組織以上の存在を知っているということ。
マザーテレサはどうして自分を確かにしていたのでしょうか?
マザーテレサは来日したときに、インタヴューに応えて、「豊かな国ほど心の貧しい人がたくさんいます。そして、モノの貧しさよりも、心の貧しさの方が癒しがたい」と述べました。またその時、「貧しい人は神の子です」とも。
今の日本、まさにマザーテレサが言っていた通りになりました。愛着障害だらけの子どもの群れ。学校教育は事実上、崩壊しています。なんて言っても、「勉強以前の問題がある子どもが、とっても多い」からですね。
マザーテレサは、修道院を出て、スラム街に暮らすようになります。本田哲郎神父みたいに。何千人分もの食糧を分かち合い、死にゆく人々を引き取って、安らかに死んでいけるように大事にしたんですね。それは日々の、刻々の祈りに支えられていたことは間違いありません。
マザーテレサが知っていたその神とは何なのか?その神のおかげで、マザーテレサは自分をいつも(永遠に)確かにする(生きている)ことができた。
それはね、こういう神です。
「たとえ母親があなたを見捨てようとも、決して私はあなたを見捨てない」神です。
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