エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

野に咲く百合のごとく 光の道 改訂版

2015-02-03 12:53:03 | アイデンティティの根源

 

 縦の関係に生きる人は、思いやりと信頼に生きることができます。

 Young Man Luther 『青年ルター』のp179の下から13行目途中から。

 

 

 

 

 

初期キリスト教徒たちのような集団が、世界史の中に現れるのは、稀です。それはまるで一本の野に咲く百合のように存在するものです。たとえ、1人のキリスト教徒を誰も一本のゆりに見まがうことなどなくてもね。ただし、パウロはそうですね。キリスト者たちが、集団として、個々人を足し算した以上の存在になったのはなぜでしょうか? それはね、自分以上、集団以上の存在を知っている、という自分を確かにする道です。「コギト エルゴ スム 知るが故に存在する。永遠に」(とデカルトは申しました)。聖パウロはキリスト教徒たちに、まるで眼の前にいる子どもたちに語りかけるように語りました。「あなた方は皆ひとりびとり、お互いに預言者になれます。そうすれば、すべての人は学び、すべての人は慰めを得ることが出来ますから」(コリント信徒への第1の手紙 第14章31節)。このような自分を確かにする道は、脆いものだと思われがちですが、直接いただく確信においてゆるぎなきものです。そしてこのゆるぎない確信のおかげで、良き伝道者、良き殉教者に共通する、イキイキした感じを、その自らを確かにする道にもたらしてくれます。

 

 

 

 

 自分を確かにする道である「アイデンティティ」と通常呼ばれるものを、これ以上ハッキリと、これ以上クッキリと、エリクソンが語っているところは、多分ないしょう。

 

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