エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

いつでも何度でも大事な≪いまここ≫

2015-11-03 08:08:26 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
親替え=悪い良心→良い良心
  昨日のところ、苦難の神義論。東日本大震災を経験したものには、傾聴に値するところじゃぁ、ないですか? 1000年に1回、と言われる大災害も、慈しみ深い存在の大い...
 

 

 

 絆を結ぶためには、ひとりびとりが忠実に誠実になれるような、共通の価値が必要です。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p88の、10行目途中から。

 

 

 

 

 

それで、神様がシナイ山の上で、モーセから「民に話せと言われるのはどなたですか?」と問われたときに、神様が「私は≪いまここ≫にいる者です」と自己紹介してから、「『≪いまここ≫に生きている者』という名の神が、私をあなた達に遣わしたのです」と民に言いなさい、と教えました。この実存的な意味は、間違いなく、一神教の進歩的発展にとって、極めて大事ですし、関係する家父長的で君主的な出来事にまで広がります(エリクソン、1981)。

 

 

 

 

 

 エリクソンの1981年の著作と言ったら、前にこのブログで翻訳した、『エール大学評論』4月号に掲載された「ガリラヤの言い伝えと≪私≫という感じ」です。

 エリクソンは、神様の名前、「≪いまここ≫に生きている者」が非常に意義深いと言います。ギリシャ語では、この神様の名前は、現在進行形。ユダヤ・キリスト教文化では、「名は体を表す」とされますから、神様は現在進行形の存在ということは、≪いまここ≫を非常に尊ぶ存在であることが、ハッキリと分かります。

 「≪私≫という感じ」も≪いまここ≫を感じること。過去のトラウマに囚われたり、未来の不安に翻弄されてることと真逆です。

 

 

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