エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#恐ろしいだけではない

2025-03-06 07:51:55 | エリクソンの発達臨床心理

#戦争の初め

「発達トラウマ障害 Enpedia」は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照くださ......

「発達トラウマ障害 Enpedia」
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、
MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。
としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。
それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。 
 
 Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 p102の 第2パラグラフ から。



 大人になると,劇的であることを畏敬をもって表現する 特別な習慣は 「舞台」です。とくに,ここで,人間の葛藤が,結界の時空に投影されます。それは,時空を超えて,演じる者と見るものも様々な思いの浄化を体験する,身代わりの形で,一心同体になる中で起こることです。素晴らしい。本物の演劇が,見事に演じられますと,骨の髄まで身に沁みます。私どもは,「これは演劇に過ぎない」と頭ではわかっていても,演劇によって,時空が濃度を増すお陰で,実感が深まり一人では耐えられないことが,不思議に分かち合えます
 しかしながら,演じる礼拝の素のおかげで 人が演じる力を生涯持てるがゆえに,その独特で 蔓延している礼拝もどき 「なりすまし」も出ます。このなりすましは,現実の舞台や歴史の舞台で,他人になりすます」のを,死に物狂いでやることですから,聖書の神様のいのちの視点から申しますと,ご自分にも、周りの人にも,まともな生き方をする上では、操り人形なのです。ある「立ち位置」の操り人形にされますと,ある「立ち位置」の操り人形にされますと,有能で愉快に,自覚的に俳優のようなことをしている と言っているわけではありません。すなわち,人が心から望んでいる望みは,自分が人生の舞台で主人公でいたい ということです。さもなければ,脇役になり,落ち着かなくなり,値打ちのない感じになります。すでに見てきましたように,赤ちゃんのときには,芽生えた《私》価値があると実感できるのは,共に省みる関わり合いの中です。芽生えた《私》は,子どものころの遊びの中で,繰り返し新しい私になりますし,若い時期に一心同体になる戦いの中で,分かち合われますし,そのあとで、晩年には,生きざまに表れる自分の立ち位置によって,芽生えた《私》は,研ぎ澄まされた不動の希望になります。自分が願う最良の私は,禁止する超自我とは異なり,選ばれた形で,自分から人と関わっても良しとしますし,(親たちから政治家たちまで)他者が自分から関わることも良しとする権力があり 理想的に人の地位を奪うことやユートピアを体現した人を理想とします。しかしながら,自分を自分で良しとすることも 「偉大」な人たちを実力以上に称賛することは,無制限に人の権利を搾取する道を開くことになります。無制限に人の権利を搾取する道は,救われたい(真っ当な人として認められたい)と願う願いの代償となるんです。無制限に人の権利を搾取する道は,実は,自分から人に関わることと その後ろめたさを1つにし,ライバルと自己犠牲も1つにしてくれます

 無制限に人の権利を搾取する道も、恐ろしいだけではない側面もあることにチキンと気づいているエリクソンです。

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