エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

よく見えない時には、人もゴキブリに見えてくる

2013-09-28 03:33:34 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ベトナム戦争と、そこで実際に行われていたことが、儀式化の視点から語られていました。国家目的を失ったアメリカが、儀式化の目的も見失った結果、暴力で何とか秩序を維持しようとしたのが、ベトナム戦争であったことが分かります。

 

 

 

 

 

 そのシナリオは、上から見たように、すわなち、司令官搭乗機が孤を描く、とっても高いところにある雲から、あるいは、はるか彼方の戦略家たちの机上から、見たように、よく計画されているように、一見見えました。その航路は注意深く高官に割り当てられていましたし、司令官は600メートルの高さを旋回していましたし、低空飛行しているドアガンの射撃手は、援護射撃をしていました。最初の小隊が着陸機から発砲する一方で、別の中隊が避難路を抑えたのは、ヴェトコンが逃げるのを防ぐためでした。ただし、目に見える敵はまったく「いませんでした」し、言うほどの抵抗もありませんでした。隊員たちは、着陸地点から10メートル先までしか見えませんでしたし、様々な部隊も、互いの部隊は、見えませんでした。それで、敵はどこにでもいるように見えましたし、どこにもいないようでもありました。「部隊は準備完了」し、「ほとんど連鎖反応でした」。部隊はもはや(敵か否かを)区別する必要がなくなりました。「どこでもが標的になり」、「部隊は暴力の安直な行動パターンに陥っていました」。

 敵の兵隊だけではなく、這う物が自分たちの周りを取り囲んでいるように感じ始めたものもいましたし、それはすぐに、「コキブリがお前の体中にいる」かのように感じ出すものまで現れました。このようにして、全ての命令(儀式、秩序)に一番反することは(歩ける年の者は皆殺すこと)、自分たちに群がりそうな害虫のイメージ合わせることのように思われました。この中尉(彼について、部隊の1人が、「戦争ごっこをしている子ども」のようだったし、「自分を自分でないものにしようとしている子ども」のようだった)は次のように言いました」「ぶっ殺せ」と。誰もそっくりそのまま辿ることのできない事態が続いたけれども、440から500人もの人が根こそぎにされました。公式文書にはつぎのように特記されました。すなわち、「東洋人、ミライ第4村の住民、氏名年齢不詳(その文書は敢えて「年齢」には触れませんでした)」。

 

 

 

 

 

 このシナリオが上から物を見て書いているように思われる点で、この人が「人間を上下2つに分けるウソ」に囚われていることがハッキリとわかります。そして、このウソの最終形はいつでも、相手の人を、這う物・ゴキブリ・自分たちに群がりそうな害虫のイメージに変えてしまい、とどのつまりに、「ぶっ殺せ」という根こそぎになってしまうのです。

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