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Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 P.104,7行目途中から。ここ数日分も,ご一緒に。
ゆとりをもって学ぶ力と(訳注:生きている実感を)正しい振る舞い(の形にする):その正しいやり方とその正しい見方
その「ゆとりをもって学ぶ力」は,日常生活に,もう1つの礼拝を付け加えます。すなわち,「正しいやり方を全うする」ように,日常生活を礼拝にすることです。この礼拝が日常生活にありませんと,今まで申し上げてきた日常生活を礼拝にする様々な原理も,子どもと大人をパートナーにする躾をなくしてしまうことでしょう。子どもと大人をパートナーにする躾のおかげで,日常生活を礼拝にする様々な原理は,細々とした一連の,ニーズにぴったりと見合った関わりと,やり取り上手な心構えと上手なやり取りを全うする,全体像の持つ品性に,ピッタリと固く結びつくことができるんです。新しくて,いつまでも変わらない形を創造するために,物事で全うできることがあることを示したい,と熱心に願う気持ちは,ゆとりをもって学ぶ力の中で成熟します。あるいは,立って復活するのに必要な知恵がついてきますから,子ども達は学校にやられるようになるんでしょう。ここで,いきなり変わってしまうのですが,遊びは勉強に形を変えますし,ゲームは競争と協力に変わりますし,自由に想像することが,様々なやり方に十分に注意を払って,やらなければならないことに,変わりまいます。決まったやり方のために,自由に空想していることが,人に伝わるもの,説明できるもの,決まった課題に合わせることができるもの,にします。日常生活を礼拝にすることも,今や,真実に,学校と呼ばれる段取りの中で,共に働くものになります。すなわち,日常生活を礼拝にすることは,生徒,教員,クラスのみんながやり取りする中で,共に働くものになります。あらかじめ予定された一連の課題が,文化の全体像が持つ言葉の成長力と身体の成長力に従って組み立てられて,経済的に,技術的に,共に立つことで復活する復活を分かち合うのに欠かせない初歩の様々な術が教えられます。
学校は,共に働くことを学ぶ礼拝をする場であるのは,共に立つ,共に復活する,という目的があるようです。
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