「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
Ontogeny of ritualization in man. 「人の中にキリスト(生きている実感・本来の自己・本心と本音)を創造する毎日礼拝」
イギリスのThe Royal Societyが1966に出しています。
p.346,ブランクから。
今朝は,その第2パラグラフの13行目から。
その13行目そのに訳し漏れがありましたので,訂正します。
5 思春期以降 :理想的,と 創造的
私がこれまで心を込めた来たのは,驚き感激する私を創造することですし,昔みたいに、子どもの中にある毎日礼拝が,善悪を超える源だ,ということです。ここから,私どもは2つの志があれば,腑に落ちることができますでしょ。1つは,「毎日礼拝」が,いつも驚く体験で,内側から打たれるくらい強く促される気高さがあるかどうか,を体験的に試してみることができるでしょう。毎日礼拝は,若者たちがお互いの関わり方を腑に落ちて,自分の創造性を,大人とも違うし,子どもにはできなかった形で生き方で示すことになります。もう1つは,成人式(訳注,日曜礼拝)に戻ってもいいかもしれません。と言いますのも,その成人式(訳注,日曜礼拝)が,堅信礼や入隊式になるやもしれないからです。全ての人にとって,すでにお話しして参りました本当の自分を育てる道筋の中にある様々な元気は,赤ちゃんの時に見付けた信頼を,理想の育ちをするイメージに結び付けると同時に,いろんな視点やいろんな理想が腑に落ちるものにしてくれる式(訳注:日曜礼拝)の推進力になります。本当の自分を育てる道筋の中にある様々な元気は,心から安心できる場に自分から参加している感じと,新たな仲間ができた感じを,大人になりつつ子どもにプレゼントします。ですから,大人と呼べるのは,2人が自分自身を育て,2人とも心から自由になるのが毎日礼拝の目的ですから,自分自身を育て心から自由になった人だけですし,子どもの暮らしの中で日々毎日礼拝の司式をする者になることを見通せる人だけです。
私ども夫婦が驚き感嘆する私の育ちをスケッチしてきたことには,思春期以降の舞台も入ります。と申しますのは,お互い様の関係があるからでして,動物には,大人と若者が,生得的にお互いを大切にする本能のパターンでやり取りを全うすることがあるのですが,人間にあるのは,「子どもの時と若者の時に,母子が互いに大切にし合う生き方など」だけなんです。人間が生かされている意味を十分に体得することは,単に「縦の関係と横の関係」に加わるばかりじゃなくて,仲間の「人類を上下2つに分けるウソ」に「夢中になって自分たちを共に賭けること」も意味します。仲間の「人類を上下2つに分けるウソ」に「夢中になって自分たちを共に賭けること」は,(道徳なんて糞くらえ,狂ったように正義を無視し,軍事がお好き)敵視したものと,古いか馴染めないかとしたものを「締め出す」ことらになります。他のところ(エリクソン,1965)で,一心同体に成れない危機をクッキリ描くことを引き受けてきました。この一体になれない危機は,「『上に』忖度するウソの一体感」の習慣が,青年期に生まれることになりますし,その人が属する文化が創り出す忖度する気持ちが出来上がります。 縦横の関係と関係に対する本気度の2つうまく噛み合った場合だけ,若者は新しい人品を,聖書の神様が差配する縦横の関係と聖書の神様を実体験することと結びつけることができます。私は,仲良く一致することが大切にできず2人がバラバラになる関係を「「一体になれない病気」と呼んできました。臨床的に(前に申し上げましたように)「一体になれない病気」は,自分を出せませんから毎日礼拝できないことや一匹狼ですから毎日礼拝を怠ることに現れます。「一体になれない病気」は,境界性人格障害や犯罪,危険な非行や病んだ狂信があるかどうか,あるいは,どこにあるのかを決める,心の病や政治や法律的な,善悪を仕切る壁を生み出します。若者らしい生気溢れる「鬼のお出まし」は,2人で分かち合えない中では,こんなものになります。
いったん,「一体になれない病気」になりますと,毎日礼拝ができません。
生きるはキリストのお務めは,毎日礼拝だけです。
毎日礼拝ができませんと,驚き感激する私,陽気で楽しい歓びを生きる私も生きられません。
そうすると,「人間を上下2つに分けるウソ」の虜になって,「『上に』忖度するウソの一体感」の習慣を生きざるを得ません。多くのニッポン人が落ち込んでいる落とし穴です。
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