今朝の聖書の言葉は,μυστήριον ミステリオン,秘密。
『新約聖書』のはじめ「マタイによる福音書」の13章に出てきます。
「10弟子たちが彼のところへ来ていった、「なぜ譬えで彼らにお話しになりますか」と。11彼は答えられた、『あなた方には天国の奥義を知ることがゆるされているが、彼らにはゆるされていない。12持つものは与えられてあり余り、持たぬものは持っているものも取られよう。…」
この前田護郎先生の翻訳では,「奥義おうぎ」と訳されています。
この秘密は,客観的な真理ではありません。頭で理解しようとしても,おそらくわからないものですね。客観的真理ではなく,人格的真理です。生きてみなければ,分からない真理です。ですからね,話を聞いただけでは分からない。だから秘密なんでしょう。
でも,それだけではありませんね。
生きてみるにしても,「なるほどね」となるまでには,時間がかかる場合がほとんどだからでしょうね。その秘密のスケールが大きすぎて,にわかには理解できませんからね。
でも,逆に言えば,「なるほどね」となった時には,大喜び間違いなしでしょ。
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