人は、1人にならない口実をいくつも数えやすい。1人になるのはそれだけオッカナイからです。でもね、ぞれじゃぁ、自分の花明りを灯すことにはなりません。自分自身を生きることができないんですね。それじゃぁ、もったいない。自分を大事にできなきゃぁ、人も大事にできないしね。
p104の10行目途中から。
いくつかの簡単な練習をすると良いでしょう。たとえば、楽な姿勢(前かがみでもなく、こわばった感じでもなく)で座る、眼を閉じてみる、眼の前の白い幕を見てみる、邪魔な絵や考えすべてを取り除いて見る、そうしてから、自分の息に従って見る、息に従いながら息を感じることです。さらには、「≪私≫という感じ」、すなわち、私、自分自身であろうとします。自分自身とは、自分の力の中心であり、自分の世界を創り出す者です。少なくとも、毎朝20分、このような訓練の一つに集中するべきで、それができなければ、毎晩寝る前に訓練すべきでしょう。
息というのも不思議ですね。息があるから、私どもは生かされています。息は例でもあるらしい。霊と訳されるプネウマ πνευμα も、その元々の意味は、息なんですからね。息を感じると、霊と出会い、自分自身になれるんですよね。
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