なんとむなしいことか、と言うと、ニヒリズム、と思われるかもしれませんね。
1月17日を迎えて、また、まもなく、3.11を迎えるにあたって、4年前の文書をいつくか読み直しました。その一つが宮田光雄先生の「いま人間であること」(『世界』№ 817, 2011,5)です。
「なんと空しいことか」、これは旧約聖書の「コレヘトの言葉12章8節」の1節です。宮田光雄先生が教えて下さっているように、この言葉は、ニヒリズムや諦めの気持ちを表しているのではないんですね。「神」という言葉を多用しているように、現世的な生の空しさを語りこそすれ、神の終末論的希望に対する希望を語るものである、と仰います。
昨日もこのブログに書きましたが、復興が眼に見える部分にだけ眼が行くようでは、不十分です。では、眼に見えないものとは、この場合どう考えればいいのでしょうか?
コレヘトの言葉が、現世的なものに対する「むなしさ」を教え、日常生活を≪超越≫することを考え、また、実践していくこと教えているのだそうですね。また言葉を変えれば、「人間らしい暮らし」とは何か? との問いを問いつつ、日々を暮すことになるはずです。それは、「いわゆる豊かさを追い求めるのではなく、たとえ貧しくなろうとも、日常生活の不便さを忍んでも、人間らしく生きることはどういうとか、真に生きることの意味を、いまこそ深く問い続けなくてはなりません」。自分たちの社会のあり方を、自分の生活のあり方と結び付けて、「人間らしい暮らし」を実現することを考えること。
私どもはその答えを探しながら、今日も生きてまいりたいと思います。
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