今日のエリクソンは、Vital involvement in old age から。
それぞれの発達の舞台で、ひとりびとりは、2つの相矛盾するものから創造的な緊張を経験します。その緊張たるや、本能的なエネルギーと、本能みたいなエネルギーの両方を惹きつけます。
新しいものを創造する時には、強い緊張を強いられます。波風が立つことを嫌う日本人が、創造的でないのは、創造には緊張、波風がつきものだからでしょう。
今日のところで、本能みたいなものとやったものは、なんか変だ、よくわからない、と思われる方が多いかもしれません。本能みたいなものの代表が、「愛着」でしょう。渡り鳥のように、最初に見た音の出る動くものを「親」と見なして、それは後から修正することはできない場合、それは本能でしょう。しかし、人間の場合は、「本能」とまでは言いきれませんし、修正が可能です。でも、「愛着」と「良心」の「親替え」をする人は得てして稀でしょう。
創造とは、本能のエネルギーだけではなくて、「愛着」に伴うような「本能のようなエネルギー」も活用可能な時に、花開くものなんでしょう。
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