#聖書の創造物語 = #森羅万象悉仏性 → #不動で自由な独立心
「発達トラウマ障害」Enpedia をご参照ください。 The life cycle completed 『聖書の神様の命が一巡することができた』 p.87。 第2パ......
「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
Ontogeny of ritualization in man. 「人の中にキリスト(生きている実感・本来の自己・本心と本音)を創造する毎日礼拝」
イギリスのThe Royal Societyが1966に出しています。
p.346,ブランクから。
今朝は,その第2パラグラフから。
5 思春期以降 :理想的,と 創造的
私がこれまで心を込めた来たのは,驚き感激する私を創造することですし,昔みたいに、子どもの中にある毎日礼拝が,善悪を超える源だ,ということです。ここから,私どもは2つの志があれば,腑に落ちることができますでしょ。1つは,「毎日礼拝」が,いつも驚く体験で,内側から打たれるくらい強く促される気高さがあるかどうか,を体験的に試してみることができるでしょう。毎日礼拝は,若者たちがお互いの関わり方を腑に落ちて,自分の創造性を,大人とも違うし,子どもにはできなかった形で生き方で示すことになります。もう1つは,成人式(訳注,日曜礼拝)に戻ってもいいかもしれません。と言いますのも,その成人式(訳注,日曜礼拝)が,堅信礼や入隊式になるやもしれないからです。全ての人にとって,すでにお話しして参りました本当の自分を育てる道筋の中にある様々な元気は,赤ちゃんの時に見付けた信頼を,理想の育ちをするイメージに結び付けると同時に,いろんな視点やいろんな理想が腑に落ちるものにしてくれる式(訳注:日曜礼拝)の推進力になります。本当の自分を育てる道筋の中にある様々な元気は,心から安心できる場に自分から参加している感じと,新たな仲間ができた感じを,大人になりつつ子どもにプレゼントします。ですから,大人と呼べるのは,2人が自分自身を育て,2人とも心から自由になるのが毎日礼拝の目的ですから,自分自身を育て心から自由になった人だけですし,子どもの暮らしの中で日々毎日礼拝の司式をする者になることを見通せる人だけです。
私ども夫婦が驚き感嘆する私の育ちをスケッチしてきたことには,思春期以降の舞台も入ります。と申しますのは,お互い様の関係があるからでして,動物には,大人と若者が,生得的にお互いを大切にする本能のパターンでやり取りを全うすることがあるのですが,人間にあるのは,「子どもの時と若者の時に,母子が互いに大切にし合う生き方など」だけなんです。
互いに大切にし合う生き方は,教育や福祉の名のもとに,子どもに何かを押し付けようとしている人にはできません。中身のない大人ですからね。
互いに大切にし合う生き方は,心から自由にされた本物の大人だけしかできません。自分を空っぽ(仏教で言う無我)にして,子どもに心響かせる場合だけですから。
中身がない と 自分を空っぽにする は似ているように見えて,天地の差があります。
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