人の心は、バイセクシャル。面白いですね。人の心って、実に深くて、不思議に満ちていますね。
今日は、p31の第2パラグラフ。
男女という対も、人間同士の創造性の源にもなります。これはまさしく、精子と卵子の結合が一人の子どもの誕生の基になっている事実にあります。しかし、心そのものの場では、全く話が違います。男女間に≪真実の関係≫があれば、男も女も生まれ変わります。(ホモセクシャルがお好きな人は、対になった男女の繋がりを持つことに失敗したものでして、ですから、ホモの人は「相手にされない」という解決できない痛みを味わなくてはなりません。でも、≪真実の関係≫を知らない、普通の男女と、その痛みを分かち合うことはできますよ。)
男女の関係も、それが≪真実の関係≫になれば、男も女も生まれ変われる。この「生まれ変わり」は、宗教的に申し上げれば、「復活」「回心」「新生」ですから、男女の関係も、限りなく、宗教的であることもできるのです。そうは言っても、なにも、修道院生活か、修養会に参加する、などと言う類の話では全くありません。世俗の生活、一般生活をしながら、宗教的である、ということですね。マックス・ウェーバーの言葉を使うならば、「世俗内意禁欲」でしょうか? あるいは、ご存じないかもしれませんが、ナチス抵抗運動の中心をなした、あのデートリッヒ・ボンヘッファーの「神の前で神なしで生きる」ということに通じているのかもしれませんね。
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