エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#心根を大切にする生き方 なの

2020-08-07 03:48:13 | エリクソンの発達臨床心理
 
 


 
#創造 = #平和な仲間作り

 #創造の秘密 #私が生きている実感 と #お母さん #聖書の神様 エリクソンの叡智  #エリクソンの叡知:#自分が確かにされる初め      発達トラウマ障害(D......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」    

をご参照ください。  

 

 Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 P.110,第2パラグラフから。

 今朝は,P.113,第3パラグラフ,7行目から。

 



 青年期と理想:

 本当の自分と真実




 青年のために予め用意された,箱だけで商品が入っていない偽の礼拝にする毒気は,「全体主義」です。この「全体主義」は,硬直した様々な考えに囚われて,問答無用に掲げたお題目に,熱に浮かされながら,人をイジメながら,夢中になることです。この全体主義の道連れは,青年に特有な自己愛な(訳注:身勝手な、安倍ちゃんみたいな)人や,様々なイデオロギーにありがちな,聖書の神様でないものを,神として崇める偶像崇拝ですからね。それから,この「全体主義」は自己愛とピッタリですし,この自己愛は,ひとりびとりの若者に特有なものですし,イデオロギーが偶像崇拝になりやすいことに特有なものでもありますし,偶像崇拝に退行しているみたいでしょ。つまり,仲間内の理屈がない訳じゃない,ということです。さらに,生きるはキリストになる舞台は,「仲良くなる」の舞台とも一体です。すなわち,仕事,友達,大切な人と仲間になりたい気持ちの中で,いつも互いに大切にし合うサンガこそが,「仲良くなる」の舞台です。この青年期の生きるはキリストになる舞台は,日常生活を礼拝にするリストの中に,「自分から仲間になる」スピリットが加わります。青年期の舞台の,形ばかりで中身がない偽物の礼拝になる側面は,自己愛村でして,この自己愛村は,仲間以外をイジメる「上から目線の集団」になります。自己愛村 が仲間以外をイジメる「上から目線の集団」になるのが分かるのは,さもしさと偏見の巣窟と,熱狂的な意見や冷酷な厳罰,という,この世でお馴染みのお化けが,恋やお仕事,友情や絵空事で結びついた若者のお喋りや活動に広く行き渡りますから,人間が喉から手が出るほど求めているができます。このは,互いに挨拶し合う様々な場面で強まりますが,その挨拶とは,たとえば,鳥たちが「僕たちが生まれたのは,互いのためだね」という香りを出して踊ったり,「僕たちが生まれたのは,互いに大切にし合う約束をするためだね」とという香りを出しつつ踊ったりすることです。人間の一生の中では,その挨拶は,「僕たち2人が,互いに大切にし合って一心同体に成ること(あるいは,互いを完璧に満たし合うこと)は,僕たち2人が1つのペアに上手になることに相応しいし,互いに大切にし合って一心同体に成ること(あるいは,互いを完璧に満たし合うこと)は,互いに大切にし合う様々なペアから,創造しいのちをもたらすいのちの中で,互いに大切にし合う仲で仲間になることを約束することになりますよ」という気高い芳香を放ちます

 

 

 大人であること と 毎日礼拝で子どもに「あなたは気高い」と伝えること

 

 若者の見習い期間を終える「一廉の人物になる儀式」を経て,「約束をする儀式」が若い大人にプレゼントするのは,新たに一心同体になって仲間に成るスピリットに仲間入りする《免状》です。その《免状》は,聖書の神様のいのちの唯一の通り道を,新しく創造された者に,伝えることです。聖書の神様に頼る毎日礼拝は,聖書の神様のいのちの唯一の通り道を,新しく創造された者に,伝える点で,徹底して従順ですし,ハッキリしています。しかしながら,大人になってからの,腑に落ちる礼拝は,はるかかなたのご先祖様,歴史上の英雄,魂や神々,王様や創始者やお国に頼るものでも,腑に落ちるものであるならどの礼拝でも,子どもの頃や青年の頃の,何気ない毎日礼拝を繰り返し,強化するものに定められています。と言いますのも,大人になっても,子どもの頃の毎日礼拝を繰り返し強化するからこそ,スピリットを育てることが一体になるからです。腑に落ちる礼拝は,また,大人に対しても「あなたは気高い」と伝えます。と申しますのも,本物の大人になることには,毎日礼拝の司祭の車輪を回す点で,繰り返し力づけられたい,ということも入るからなんです。毎日礼拝の司祭の車輪を回す点で,繰り返し力づけられたい,という大人のニーズ(訳注:単数)とは,隣に創造された子どもの眼の中で,(訳注:聖書の神様みたいに)「とても善いよ」といつも頷いて一貫して肯定してくれる人のモデルに,心から歓んで成ることと,「いけないことはいけない」とハッキリと伝える者として,また,真っ当な気高い生き方をするのがミッションですと態度で示す者として,歓んで関わることと,ピッタリと重なります。毎日礼拝でのこの本物の大人の元気を,私は次世代を育てる元気だと申し上げたいんです。本物の大人の元気には,親や教員が子どもを育てることや,物を作り出したり,治療したりする時に弱い立場の相手を育てることも,子どもや弱い立場の相手を「とても善いぞ」と肯定する毎日礼拝になります。大人は,聖書の神様から「とても善いぞ」と言われたキリストを身に着けて,「私は本音が出ることを自覚していたのは間違いありませんでしょ。本音が出ることを(訳注:キリストに救っていただいた者(キリストに聖書の神様の前で「とても善い」と肯定していただかなければならない者)でしかありません,と心底から)自覚しています」という確信に,繰り返し思い至らざるを得ない者でしかないことに決まっています。繰り返し心から安心することって,へこまずに心満たされることが多いのは,父なる聖書の神様,最高の王様を,1人の親みたいな人格(人類を上下2つに分けるウソに騙されて,自分を高等民族と見る高等民族の仲間の親で,しかも,男親です)と見るお陰なんですね。その1人の親みたいな人格である聖書の神様は,聖書の神様が私ども人類を,聖書の神様のイメージの中で創造した時に,本音が出ることを自覚していたのは間違いありませんでしょ。あるいは,繰り返し心から安心することって,へこまずに心満たされることが多いのは,1人の創業者でも,1人の預言者でも,1人の賢人でも,「新しい人が育つイメージに心いっぱい満たされています」とキッパリと口に出して言える人を,1人の親みたいな人格と見るお陰でしょ。今の時代は,女性新しい人が育つイメージを直視するようにする時代です。お父さんの言う事が苦戦しているのが明らかな時代に,お父さんの家がどれ程,毎日礼拝で一心同体に成り「なるほどホントだね」と腑に落ちたルールに頼っていたかが,もう元通りにはできませんが,ハッキリとしましたでしょ。ルールに従う中で挫けたあの「ねばならないで従う責任感」という目で見れば,次世代を育てる毎日礼拝と対になる,箱ばかりで商品が入っていない,特別な生き方になる,ウソを生きる生き方は,自分さえよければ良くて,自分勝手にルールを捻じ曲げる,ウソの生き方になります。そのウソの生き方は,貴方さえ良ければ「虎の威を借りる狐様」と呼びましょう。ところがここで,いままでお話ししてきた毎日礼拝の中の大人のあの(訳注:毎日礼拝の司祭になる)役割生きている実感が漲る礼拝とに,出合いますよ。そのことは,触れておくべき論点ですが,ここでは扱いません。

 しかし,あの「古老の賢慮」に関する言葉,それは,ひとつひとつの毎日礼拝の中で,一巡します。あの「古老の賢慮」に関する言葉が毎日礼拝を創造するのは,「シャローム平和」ですから,その「シャローム平和」がありますと,あの聖書の神様のいのちが確実に一巡するスピリットが来てくださるのを陽気に根気よく待つことが出来ます。ブレークの詩を読んだ時に,ブレークがそれとなく示したことは,古老の賢慮は,一番うまくいけば,陽気で楽しい歓び歓ぶ子どものように生きることで,光ります,ということです。毎日礼拝をする中で互いに大切にし合う無上の歓びを共にすることを自覚する結界を出来事にする,という,古老が手渡す信頼する役回りは,陽気で楽しい歓び歓ぶ子どものように生きる光を生きる光の生き方を子ども等に伝えます。しかし,今様の生き方や,多くの人が長生きするようになっていることを考えますと,ブレークが,古老の賢慮も,おもちゃみたいに,幼稚になる場合がある,とほのめかしていたんじゃないかしら,と考えざるを得ませんね。と申しますのも,自分も年を取ったと思う頃は,「不満」と「不愉快な気分」もありましすが,私が是お勧めしたいのは,ウソのないキリストのバカに成り切るシャローム平和の生き方」です。ウソのないキリストのバカに成り切るシャローム平和の生き方」は,子ども等がすぐに気付きます。ですからね,古老たちと子ども達は,お互いに馬が合うと感じるんでしょうね。ですが,もちろん,老人のなった時も,その時独特の,箱だけで商品が入っていない偽礼拝がありますよ。その偽礼拝は,おバカなのに賢そうに見せようとすることです。それで「知ったかぶり」と呼んではどうでしょう。

 もう合点がいったことは,毎日礼拝が何を全うするか,ということでしょう。つまり,子どもの頃に体験した様々な毎日礼拝の2つを一体にして,繰り返し,新しくすることによって,また,親が毎日礼拝の司祭になることを善しとすることによって毎日礼拝は大人の暮らしを子どもと互いに自由にし合い,キリストを身に纏う暮らしになりますから,大人の暮らしが新しい人を創造することや新しい対等な出会いや聖書の神様の新しいみ心を創造することに役立ちます。聖書の神様のいのちが相手と私の仲で一巡することと心が泰然自若として自由にされることが,キリストがおられるシャローム平和の結界の中で実現していることを,思慮深くよくよく調べてながら生きる生き方を頂いた恵みのゆえに,毎日礼拝は,指導者たちやエリートにだけではなしに,あの結界に与る者達全員に,誰も奪い取ることが出来ない晴れ晴れとありのままの自分を生きる心の習慣を創造してくれるんです。迷う余地がほとんどないのは,毎日聖書の神様のいのちが一巡するいのちを頂く毎日礼拝をしていれば,大人たちは,死は全てのいのちに内在する不可解な背景であることは忘れて,同じ時空と創造の道具を持つ他者と共に,ありのままの自分を創造し合い育て合うことが出来るという見通しをいつでも晴れ晴れとアーメン,本当ですねと実感することを他の何よりも一番大切にします。2人が一心同体に成る聖書の神様の結界の仲では,毎日礼拝を司るキリストのスピリットのお陰で,死は,日々を生かされている 陽気で楽しい歓びが漲る実感という,聖書の神様のスピリットの光が輝き溢れる場となります。

 毎日聖書の神様のいのちが一巡するいのちを頂く毎日礼拝ありのままの自分を創造し合い育て合うで掬い出せる大事な元気・勇気・陽気・根気をいま一覧表にしましたところですから,その大事な元気・勇気・陽気・根気は、一覧表の仲にある,聖書の神様がありのままの本当の自分(大我)をあらかじめ創造したも同然だと申し上げるのは,皆さんが議論したり研究したりできるようにするためです。聖書の神様が下さる元気・勇気・陽気・根気が,仲間たちが一心同体に成るのを助けるのは,まさに,本当の自分(大我)を育てる様々な舞台をシャローム平和を実現する,1つ1つの毎日礼拝が,宗教の様々な礼拝の根源的な元型・スピリットをもたらしてくれる,という事なんですよ。この根源的な元型・スピリットこそが,仲間たちがとても大切にしている理となる物事を進め方(習慣を1つにしてくれます。すなわち,その仲間たちがとても大切にしている理となる物事を進め方(習慣とは,①世の中はうまくできていると信頼していることですし,②法と正義を敏感に感じ取る感性ですし,➂聖書の神様のいのちが一巡することを,人をコントロールすることよりも,大切にすること,④聖書の神様のいのちが一巡して創造することが森羅万象の基盤であると体得していること,⑤「お天道さまが見ているよ」と心得ていることです。

 シャローム平和を実現する生き方について,記しておかなくてはならないことは,毎日礼拝でも,その他の礼拝でも,あらかじめこうなりますよ,という処方箋は全くない,という事です。毎日礼拝でも,その他の礼拝でも,慣れという意味で,単なる繰り返しや馴染みになるという事をはるかに超えて,真実の毎日礼拝は,どんなに細やかなものでも,本当の自分・大我を創造することに根ざしていれば,必ず驚きと感激に導いて下さる内的促しがあるからです。内的促しがあると,もしかしたら,「これでお終い」という場面なのに,思いがけず「あなたは気高いですからね」と言う,微笑みながらうなずいて居て下さる聖書の神様から認められて「新しい人」に生まれ変わるこの世の唯一の真実があります。毎日礼拝は,このように,ありがたい再評価を受けて驚くことに必ず成ります「もうダメだぁ」と落ち込んだところで,思いがけず「それでいいのだぁ!」と聖書の神様が微笑みながら頷いていて下さることにぶっ魂消ること,すなわち,驚いて感謝感激感動することヌミノース)が,聖書の神様から一方的な約束(δικαιοσύνη,ディカイオスーネの)通りに創造発達できる歓び心根を大切にする生き方になりますから。

 

 

 打っ魂消る。下品でしょ。でも,野暮ったいの谷保生まれ,谷保育ちですから,御免なさい。

 聖書の神様からの一方的な約束。普通考える約束は,2人が義務を負い合う約束です。双務契約と言います。でも,聖書の神様の約束は,聖書の神様だけが義務を一方的に負う片務契約です。聖書の神様は決してウソは言いません。約束したことは絶対に守って下さいます。そこがこの世のお母さんたちや私どもとの決定的な違いです。

 約束を守ってもらうことは当たり前でしょうか? ウソとゴマカシが蔓延るニッポンでは,嘘つきだらけでしょ。安倍晋三さんや東急電力の会長だった勝又三兄弟の1人や東芝社長だった綱川何某の顔を見て下さい。嘘つきの顔してますよ。

 聖書の神様の一法的な約束,δικαιοσύνη,ディカイオスーネは,約束通りなのに,仏魂消ること間違いなしです。

 このように打っ魂消ますと,生きるはキリスト,目には見えない心根を大切にする復活の生き方が自ずとできます

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