Chilhood and Socirty p.211から。
遊びは、ですから、自我の1つの働きですし、身体を使った対人関係のやり取り(訳注:あるいは、やり取りのなさ)を自分(の時間)に合わせようとする試みです。
これだけ読むと、何のことかしら? と思う向きもおありでしょうね。
自分の身体を使った人とのやり取り、それを自分の心の中にある時間に合わせるとき、様々な感情が伴います。温もりのあるやり取りであれば、ホッとする気持ち、嬉しい気持ち、満足な気持ち、悦び、感謝などの気持ちが、自分の根っこに、無意識裡にくっつきます。
しかし、問題なのは、やり取りがない場合です。
やり取りがない場合、悲しい気持ち、ガッカリした気持ち、不満な気持ち、それから、激しい怒り、殺してやりたいくらいの憎しみが、自分の根っこに、無意識裡にくっついてしまいます。
私どもは、そのことを忘れずにいた方が、深い、真実な人生を歩むことができますよ。
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