#聖書の言葉 #1人豊か #心からの自由私の好きな聖書の言葉から。 キリストにおいて,私どもは,キリストの誠実さが下さった信頼の中で,ハッキリとものが言える心からの自由と,神の国に入る心からの自由......
「発達トラウマ障害 Enpedia」 をご参照ください。
ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。
June 06 ,2019,横浜の心理臨床学会で,Perezさんのお話を聴いた関係です。
今朝は,p.99の,第2パラグラフの4行目から。
自分が生きている実感と,その実感に従って生きることを神経学的に研究したことから,私の友人の,ピーター・レヴィンとパット・オーデンが開発した体感療法がとても人の役に立ちことが分かりました。…そのエッセンスは,次の3つです。
1)トラウマが邪魔して,氷漬けにしている体感を引き出すこと
2)体感が自分を突き動かす力,と患者さんが仲良くなれるように手助けすること
3)自分を守るために引っ込めた身体の関わりが,「できた」にすること その引っ込めた身体の関わりは,おっかなくて,閉じ込められ,押さえつけられ,動けないようにさせられた時にできなかった関わりなんです。
腑に落ちる気持ちは,安心,命が続いていること,あるいは,脅かされていることのシグナルです,たとえ,どうしてそうなるのかわからない場合でも。私どもが心身の中で感じていることは,私どもの身体が望んでいることに関する微妙なシグナルを,常時送っています。腑に落ちる感じが役に立つのは,自分の周りの,いまここで起きていることを,適格にと評価してくれることです。腑に落ちる感じは,いま近づいてくる男は気味悪いぞ,と警告してくれますが,勿忘草がいっぱい咲く西向きの部屋のおかげで,落ち着いた気分になっている,ということも,教えてくれます。腑に落ちる感じは,的確なことを教えてくれると信頼すること,なんですし,自分の身体,自分の気持ち,ウソのない自分を生きることは,自分に任されていること,なんですから。
ところが,トラウマを負わされた人たちは,いつも身体の中に,シックリ来ないところがあるのが常です。過去はいつまでも生きていて,身体の中が不快に感じる,という形で蘇ります。トラウマを負わされた人たちの身体は,腹から突き上げる「危ない」と告げる様々なサインのために,苦しい思いをさせられるのが常になりますし,自分の中で起きていることをコントロールしようとして,腑に落ちる感じを,見て見ぬふりをするプロになってしまいますし,自分の実感を態度で示す意識がゼロになります。トラウマを負わされた人達って,本音を隠す(訳注:ようになり,忖度して生きる)ようになりますからね。
腑に落ちる感じが様々に警告する感覚を,押しのけ,無視しようとすればするほど,腑に落ちる感じから来る様々な警告の感覚のために,困惑し,混乱し,自分はダメダァと恥を深めることになります。身体の中で現在進行形で起きていることを,心地よく感じられない人達は,五感の変化に対して無力ですから,無感覚になるか,狼狽え怖がるのか,のいずれかのやり方で,対処するようになります。体感を押し殺す人たちは,恐れそのものを恐れるようになってしまいます。
生きている実感,腑に落ちる感じは,とっても善いものですから,とっても嬉しいものです。中畑清さんではなくても「絶好調」と言いたくなります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます