エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

最深欲求の在り処

2015-05-21 06:10:24 | エリクソンの発達臨床心理

 

 私どもも「いつまでも続く」と言われる「信頼と、希望と、関係に対する誠実さ」をいつでもどこでも、心から滲み出るものとしたいですね。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p41の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ここで私どもは、人が最初はあおむけにされていることの重要性について大きく取り上げる時、精神分析治療の場が独特の配置をすることに触れざるを得ません。すなわち、精神分析の場は、クライアントがあおむけにされて自由連想できるようにするけれども、非常に大事な言葉のやり取りをする際には、眼と眼を交わらせることができないようにしているのです。こういった自由と窮屈さが一緒になっていることは、現実には、情動がべったりとくっついていて、何度も繰り返される転移を誘発します。すなわち、この自由と窮屈さの組み合わせのおかげで、あおむけにされた赤ちゃんが、打てば響く対応をしてくれるお母さんの顔を、繰り返し繰り返し探すことになる、その最深欲求(の在り処)が分かるんですね。

 

 

 

 

 最深欲求。このブログの読書でしたら、お馴染みですね。「最深欲求」、基督教独立学園校長でした安積力也さんから教えていただいた「詩編」第37編4節

「ヤーウェによって喜び楽しめ

 彼は君の心の願いをかなえて下さるだろう」

の「心の願い」のことです。心の底からの願い、普段は忘れがちな願いのことで、簡単に申し上げれば、アンパンマンマーチの「何のために生まれ、何をして生きるのか?」に答えたいと言う願いですね。

 赤ちゃんは、あおむけにされて、お母さんの顔と瞳を探しています。その時の赤ちゃんはね、お母さんの顔と瞳を探しながら、同時に、この最深欲求の答えも探してんですね。

 


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