矛盾律の一元論、実は「人間皆兄弟」、「みんな違ってねみんないい」にも繋がります。
p71の第2パラグラフ。
矛盾律には、神の概念に関する意味があります。神が究極的な現実を示す限り、そして、人の心が否定の中で現実を受け止めている限りは、神様のことを肯定的に申し上げることはありません。ベーダーンタ学派の中には、全知全能の神という考えが、無知の究極的な形であるとみなされてきました。ここで私どもが気付かされるのは、この二つの無名性の関係です。この二つと言うのは、モーセに姿を示した神様に、お名前がなかったことと、マイスター・エックハルトの言う「絶対的無」です。人が知りうるのは、否定性だけですから、究極的な現実の肯定的部分を知ることはできません。
途中ですが、今日はここまで。
人は否定的側面しか知ることができないのは、不思議ですね。どうしたら、肯定的な側面を知ることができるのでしようか?
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