エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

≪私≫は、大事な母なる≪他者≫が繰り返し継続的に世話してくれるから生まれるのです。第六弾 

2014-08-29 11:04:27 | アイデンティティの根源

 

 もうすでにお判りでしょうね。ここでもエリクソンとフロムはシンクロナイズドしているんですね。エリクソンはが「日常生活の中の礼拝」を大事にしますよね。それは≪私≫の発達に不可欠ですからね。かたや、フロムも日常生活と宗教生活が不可分に結びついています。2人はなぜこうまで、日常生活に宗教性を取り戻そうとするのでしょうか?

 p340下から11行目途中から。

 

 

 

 

 

 しかし、キリストでさえ、この時点では、ユダヤの日常生活にある「現象」には触れていません。その「現象」とは、≪神様のように、手応えのある生き方≫という支配的な男らしさを信条として強調することをよしとしないし、補いもしません。いかにして、「ユダヤの母」が、毎日の暮らしで、毎週の暮らしで、パレスチナで、民族四散を通して、合点のいく、非常に現実的な女神としての役割を果たし続けたか、それをハッキリとさせるには、詳細な文化史が必要でしょう。その詳細な文化史は、旧約聖書に出てくる、いくつかの特別な章を、基盤にするものでしょうけれども、それはユダヤの歴史に中で、一番一貫している傾向を1つを示すものでもあるでしょう。キリスト教神学においては、キリストの受難と対になること、すなわち、キリストの誕生に栄光があります。私どもの文脈では、母なるものの特別な性質は、バランスの取れた歴史解釈にとっては、他に選択肢のないものです。と申しますのも、≪私≫という感じのまさに根源は、赤ちゃんが、大事な母なる≪他者≫とのやり取りに源があるからですし、この母なる≪他者≫から繰り返し、継続的に世話をされ続けるものなのだからですね。

 

 

 

 

 

 ここも、実に大事な部分です。≪私≫は一人では生まれない。≪私≫が生まれるのは、大事な母なる≪他者≫がやり取りとし続けてくれるからですし、この大事な母なる≪他者≫が繰り返し、継続的に世話を焼いてくれるからなのですね。

 そう言う日々の具体的なやり取りが何よりも必要なんですよね。友愛は母よ!

 

 

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