エリクソンの叡智 : #社会を欺くウソとゴマカシが日本にあふれているのは何故か? #背筋が凍るほどの真実 #見透かされるのが怖い私 #本音が死んでる私たち #ゴマカシ......
Toys and Reasons. 『おもちゃ と 賢慮』から,p.42,11行目の途中からです。
今朝は,19行目から。
しかし,もしも,確かに夢中になる,聖書の神様のいのちが一巡する場の中に,粗末に育てられて脳に傷を負った試練を「乗り越えて,善い体験に転回させること」が確かにあるに気が付けば,もひとつ気付くのは,無心になって心から歓ぶ,という真実な場そのものが,粗末に育てられて脳が傷つけられた試練を,「生きるはキリスト」という平和,あるいは,マンダラを作り出す希望を引き出す経験に変えるものだ,ということです。もしも,そのような「生きるはキリスト」という平和,あるいは,マンダラを作り出す希望を引き出す,無心になり心から歓ぶ真実な場が,仲間になり,一心同体になりたいという最深欲求によって,司られているとしたら,あるいは,真心を対等に打ち明けたいという願いによって,司られているとしたら,無心に毎日礼拝をして心から歓ぶ,という元は,「生きるはキリスト」という平和,あるいは,マンダラ,を言葉にして,出来事にする,陽気で楽しく生きる心からの歓びと同じです。もしも,無心になって心から歓ぶことが,育つ力の結界を作るのに役立つのがハッキリすれば,無心になって心から歓ぶことが育ちの結界づくりに役立つのは,気付き・発見の連鎖に任せることによって,なのです。無心に子どもを大事にすることに心からの歓びを実感する聖書の神様のギフトがひどく欠けますと,小さな子どもでは当たり前のことですが,その子どもは,私が「無心になって子どもを大切にすることに心からの歓びを母親が実感することがないこと」と私が名付けた事実に苦しむことになります。しかし,無心になって子どもを大切にすることに心からの歓びが母親に満ち溢れるシャローム平和が実現すると,無心になって子どもを大切にすることに母親が心からの歓びを実感することが最高な場が生じるだけではありません。そのシャローム平和は,自分から人に関わりながら,晴れ晴れと生きるギフトがキリストそのものですから,無心になって子どもを大切にすることに心からの歓びが母親に満ち溢れるシャローム平和は,あらゆる中垣を壊すことになります。
新約聖書の中の,獄中生活を送っていたパウロさんの手紙,エフェソ人への手紙第2章のくだりを,エリクソン流に意訳したものです。
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