「発達トラウマ障害」Enpedia
をご参照ください。
不思議な声が,またまたまた聴こえましたので,identity and the life cycle 『聖書の神様と毎日一心同体になること と 聖書の神様の心から優しいスピリットが,目の前の相手と私の関係の中で一巡すること』 p.109 第2パラグラフ,7行目から。
今朝は,p.110の2行目から。
6回目の翻訳のし直しです。
聖書の神様の圧倒的で寂静の,跳び上がりたくなるような歓びを伴う,導き。
(訳注:エリクソンが知る限りでは,フロイトさんが一度だけ使った時には),「アイデンティティ,毎日聖書の神様と一心同体になること」という言葉がハッキリと示しているのは,裏表のない全うな人が,(訳注:聖書の神様と切っても切れない絆を毎日生きてきた)特別な歴史に育まれたユダヤ人が併せ持つ,あのピカイチの気高さと繋がっている,ということです。しかし,「アイデンティティ,毎日聖書の神様と一心同体になること」という言葉が同時に示しているのは,裏表のない全うな人が,その人ならではの育ちをする土台とも関係します。と申しますのも,「聖書の神様の命が一巡する時空に,礼をもって自分から入っていく,という代価を払って毎日礼拝を礼拝する,ピカイチの礼拝」を毎日して不動にされシャローム平和になることが,フロイトさんご自身の命が,聖書の神様の命が一巡する割り当てを生きることになる程,とても大事だからです(エリクソン,1954)。このように,裏表のない全うな人の中心軸の自分において,聖書の神様と一心同体になることが,仲間の魂が,聖書の神様を思い出して祈ることに依って立つ,という物の見方,と一体になること,こそ,いまここで,体得底で身に着けることです。と申しますのも,1人の若者で裏表のない全うな人が自分らしく一番成れるのは,この若者で裏表のない全うな人が仲間の人たちに,一番本音で一番本気に関わる時だからです。そのとき,他の仲間も,その1人の若者で裏表のない全うな人に,一番本音で一番本気に関わるようになりますから。「アイデンティティ,毎日聖書の神様と一心同体になること」とは,唯一無二の心から優しく正しい関係である互いに大切にし合うことです。「アイデンティティ,毎日聖書の神様と一心同体になること」には,2つの意味がありまして,その1つが,いつもどこでも,生きている実感(自分自身)と一致している(訳注:腑に落ちて生きる)ことですし,もう1つは,いつも何度でも,心から優しく生きる 魔法の正しい生き方を,どなたとでも,相手にピッタリ息を合わせて,生きることができることでもあります。
私がさらにハッキリと申し上げようと思いますのは,アイデンティティ,聖書の神様と毎日一心同体になるとは,あのキリストみたいに,聖書の神様を信頼して,自分を空っぽにして,目の前の相手の下に立って,相手のために懸命に関わることが,聖書の神様が創造する時の母親役になる,ということなんですね。聖書の神様の創造には,様々なやり方で入って行けますからね。そのやり方には,自分の生育歴を書いてみるやり方,自分の苦しみを書き出してみるやり方,毎日瞑想するやり方がありますね。それから,「アイデンティティ 聖書の神様と日々一心同体になること」という言葉自らに語って貰えば,様々なお恵みが明らかになるでしょう。ですからね,アイデンティティ 聖書の神様と一心同体になることは,同時に様々なことを,繰り返し創造することになります。その1つが「陰日向のない真実な態度で,聖書の神様と一心同体になること」に目覚めた心の習慣がある,ということです。もう1つは,「誰の魂にも打ち込まれた,犯すことができない個としての価値が決して途切れることがないこと」を,自覚がなくても,命懸けで体現しようとします。3つ目は,「私が目の前の相手と心響く」様に黙々と働いていますか? が,日々の唯一無二の問いになります。究極的には,あの唯一無二の聖なるもの,心の底からシャローム平和にされることが,仲間が夢見ていることや,アイデンティティ,聖書の神様と毎日一心同体になることと共に,毎日続きます。聖なるもの(聖書の神様,ないしは,阿弥陀様,あるいは,アッラーの神様)を毎日礼拝する時には,アイデンティティ,聖書の神様と毎日一心同体になること,という言葉は,対話と創造となると決まっています。2人の中では,アイデンティティ,聖書の神様と毎日一心同体になることは,心から自由にされて,仲間を作る言葉を語る中で,“ 生きるはキリスト ” を共に体得底で掴み取ることに,アーメン,なるほどホントだね,と繰り返し立ち返るに,決まっています。この毎日礼拝を暮らしの中で確実に礼拝しようとしますと,アイデンティティ,聖書の神様と毎日一心同体になることには,2つの意味があるとしても,聖書の神様に私が願うのは,この2つの意味にも関わらず,聖書の神様の心から優しい命が一巡する,唯一無二の場をハッキリと区切って下さい ってことですし,譲り渡すことができない,唯一無二の「下からの視点」(訳注:D.ボンヘッフーの言葉)をハッキリ示して下さい ってことですね。
聖書の神様の心から優しい命が一巡する場の最高の実例を,裏表のない気高い方の自伝にある最高の実践例に見ることから,始めましょう。この,裏表のない真っ当な人は,世界中が非暴力になる「人類全てが聖書の神様と毎日一心同体になること」を創造することに,1人で骨折った方でしたね。
暗号と封印に満ちたエリクソンの文体。
普通に読んでも,エリクソンの真意はわからない。
心理学の教科書やエリクソンのライフサイクル心理学の解説書に書いてある「アイデンティティ」,「ライフサイクル」などは,ほぼ全てが,大間違い!
大間違いをイケシャァシャァと教えている日本の大学や大学院って,なんなんでしょうね??
創造は,聖書の神様(あるいは,阿弥陀様,ないしは,アッラーの神様)の圧倒的で寂静の,跳び上がりたくなるような歓びを伴う,導き。
シャローム平和は,キリストの恵み。
バーナード・ショーも,野村實先生みたいに,“ 生きるはキリスト ” を毎日生きて,非暴力を貫いた方に間違いありません。
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