Let it go ≪ありのままの自分≫が生かされる。それが何にもまして大事です。
今日の処は、エリクソンの子育てレッスン①、とでも言うべき、とっても大切な処。
p223下から6行目。
私どもが確かに知っているのは、人間の性質が発達するのは、いつも自分を疑ったり、本当に恐ろしくなるほど(一見激しく怒ってないように見えることが多くても)激しく怒ってしまうこと、それも、誰彼かまわず疑いたくなるほど、誰かさんに激しく怒ってみたり、何かさんに激しく怒ってみたりすることを、チャァンと治めないとできる話じゃぁない、ということ。人の中で「最低」のものは、「最高」のフリをして再登場しやすいの。「正しいこと」と疑いと激しい怒りを、理屈の反して、あるいは、理屈に合わせないで組み合わせたものは、「正しいことを押し付けるやり方」と私どもが名付けた、あの、極めて有害な、「正しいこと」と投影の組み合わせの形で大人がやらかすことですね。道徳的に一番「正しいこと」をしているつもりで、子どもを嘲笑ったり、子どもを責めてみたり、子どもたちを有無を言わさずに黙らせたりする、それはそれは、しつこいやり方をするんですね。確かにここで結論にたどり着きましたね。すなわち、黄金律が守ってくれるのは、明確に敵だと分かる相手からくる攻撃だけじゃない。上辺だけが優しい大人が、「正しいことを押し付ける」事からも守ってくれますね。
ここは非常に大事な指摘ですね。親しそうに装って、子どもに「正しいことを押し付ける」のは、残念ながら、教員に多い。その手の教員は「先生」と呼ばれることにこだわったり、ペコペコされることをことさら悦ぶ輩です。そういう人の授業を見ると、子どもは教員の方を見ていないので、すぐに分かります。やり取りがないから、子どもは教員の方を見ないんですね。大体手元を見たり、外を見たり、きょろきょろしていることがほとんど。
黄金律は、そのものが、やり取りですもんね。やり取りがあれば、「正しいことを押し付ける」ことは次第になくなるのにね。
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