ルターでも、ありのままを認めていただけないと間違っちゃってた。間違ってた時には、深い憎しみを抱いていたと言いますね。ルターでもそうなんですから、間違いちゃうと深い憎しみを抱いたって仕方がないですね。今の日本は、この手の間違いだらけですから、この手の深い憎しみだらけになっている、というわけですね。
Young Man Luther 『青年ルター』p202の下から4行目途中から。
思い出していただきたいことは、ルターが初めてミサをした時の、マルティンのtentatio 苦闘についてシェールが言っていたことです。すなわち、マルティンは、キリストは神様と人の仲を取り持つ役回りだという、ホッとできる聖句が分からずにいたこと、そして、ルターは絶望のどん底を味わう方を選んだ、ということです。「それは、ルターには本物の信頼がちっともなかったから、すなわち、根源的信頼感が脆かったからです」。
根源的信頼感が脆いと、絶望のどん底を味わうことになります。しかし、それは、そのどん底を通して、根源的信頼感を豊かにする道も備えられているんですね。それが不思議でなりませんね。
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