河合隼雄先生の『子どもと学校』にも、マルクスが上掲のブログで言っていることと同じことが出てきます。小学生の一編の詩を題材にして、子どもの倫理性の高さを述べている件にそれがあります。その所を引用しておきましょう。
「子どもの目は大人の目よりも人間の倫理の本質をより明確につかんでいるのでないか、とさえ思われるのである。大人たちが、ごまかしの多い人生を生きているとき、子どもは澄んだ目で、それを見ているのだ。とすると、学校における『特設道徳』の時間は、子どもたちから教師が学ぶ時間となるであろうか。」(『子どもと学校』p.166)
河合隼雄先生は、もちろん教員が子どもに教えることがあることを了解しています。でもただ教えただけでも足りない。子どもの目に応えたことにならない、という訳ですね。そこで大事なのが、大人の態度ということになります。
河合先生は、「子どもに対して開かれた態度で接することが、子どもの道徳性の発現にもっとも役立つことを強調した」(前掲書、p186)と言います。しかし、この「子どもに対して開かれた態度」は誤解されやすい。それは「見て見ぬフリ」です。お役人とお役人になった教員がよくやるパターンですね。河合先生は続けます。
「(「見て見ぬふり」をする)ような態度は、今まで述べてきた、生徒の自由な表現を許すとか、教師の心を開いて接する態度と似て非なるものであことを、我々は知っておかなければならない。『見て見ぬふり』をするのは、相手と真のかかわりから逃げているのである」と。
エーリッヒ・フロムと同じ言葉、「真のかかわり」「真の関係」と出てきますもんね。" 関係に対して誠実 "、ということですね。
プリーズ、リピート、アフター、ミー。
Please repeat after me.
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