
#ヨガ #自分を見つめること #百尺竿頭一歩を進む現世考: アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちの「和解」の二枚舌(三枚?) うじ+α 現代人の心は、酸欠 現代人は、本当に人を大事にする、ということを体......
ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
第19章。「応用神経科学:恐怖に急き立てられた心を脳にもう一回繋ぎ直す/コンピュータ関係工学」から。以前翻訳した部分の後から。p.320,第2パラグラフから。第2パラグラフからもご一緒に。
セバーンは思い出を語ります,「リサが初めて私に会いに来たとき,秋だったわね。リサはぼんやりした眼で歩き回ってて,どこに行くにもカボチャを抱えてました。心ここにあらず,って感じ,取り付く島なしだと思いました」と。お話し療法は,リサには,無理でした。セバーンが,リサに気が重たくなるようなことを訊いても,リサは落ち込むか,パニックになりました。リサの話では,「子どものころにどんなことがあったのか,話そうとする度に,体が言うことを効かなくなるの。猫たちと一緒に起きても,情けなくて,食事ものどが通らないし,横になっても眠れません。」ということでしたね。
リサは,いつどこにいてもありました。「私はいつでも怖がりでした。触られるのが,大嫌いでしたしね。いつもビクビクしていて,心配性でした。周りに人がいたら,目を瞑ることも出来なかったでしょう。目を開けた瞬間に,誰かに蹴飛ばされるかも,と思ってしまったんです。ですから,皆さん,不安になります。信頼出来ない人が部屋にいたら,皆さん、身体も気も休まれないでしょう。腕に触られたら,首を絞められた感じになります。」リサは,逃げ出すことが出来ないショックの中で,身動きができなかったんです。
リサは,幼い頃に解離したことを思い出しましたけれど,思春期の後は,解離がもっと酷くなりました。「いろんな猫を追いかけ回すようになり,学校の人達はいろんな名前を私に付けるようになりました。決まった男友達が居なかったのは,解離している時には,別の男友達とデートして,しかも,それを覚えていなかったからでした。私は,眼を開けていても,目の前が真っ暗になって,綺麗で奇妙な様々な場面が見えたんです」。重たいトラウマを負わされた多くの人達と同様に,リサも鏡の中の自分が誰かも分かりませんでした。リサほど,生きている実感がズタズタにされたら,どうなるかを,ハッキリ言い当てた人は,今迄会った試しがありません。
リサが生きている実感を実感させてくれる人が誰もいませんでした。「私が16の時,重度の心の病で苦しんでいる青年達のためのグループホームに暮らしていた時,缶で深く自傷してしまいました。私は救急救命センターに運ばれましたが,何にも覚えていませんが。救急救命センターの医者は,解離性人格障害の人がいるのいうことは,全く認めませんでした。...精神衛生部門で働いていた人は,解離性人格障害の人なんて居ない,とじ ている人が多かったんです。『あなたは解離性人格障害ではないし,そもそも,解離性人格障害なんて人はいないんだよ』いう訳です」。
退院して最初にリサがしたことは,薬を止めたことでしたね。「薬なんで誰にも効かないんだから。でもね,人によってはいい場合もあるわ。薬が必要な人もいるけど,私には合わなかったんだから。薬を止めて,ニューロフィードバックをする方が,はるかにマシよ」とリサは認めましたね。
セバーンがリサをニューロフィードバックに招いた時,セバーンは何にも期待していませんでしたね。リサは,セバーンがニューロフィードバックをした患者で,解離がある患者の最初になりました。2人は週に2度面接して,右側頭葉の脳波が一定になってきまた。右側頭葉は,脳が恐怖を感じる中枢です。
リサの言葉通り,ニューロフィードバックの方が薬より,よっぽどマシ,でしたでしょ。