土佐レッドアイ

アカメ釣りのパイオニアクラブ

自然のサイクル ミツバチの分封

2012-04-29 21:42:00 | 生き物色々

 2012年4月21日(土)曇り後雨
 
 毎年、4月20日前後、必ず日本ミツバチの分封があります。時の刻み、自然のサイクルの正確さには驚くばかりです。

 今年最初の我が家のミツバチの分封は4月13日でした。

 ここ数年巣箱はたった2箱までになっていました。あまり世話ができないのと、飼育の最大の目的である蜂蜜の収穫さえ何年もしていません。ミツバチを増やそうという意欲が落ちていました。
 ある日、ふと気づくとたくさんのミツバチが出入りしていた巣箱のミツバチの姿がないのです。ミツバチたちは寒い日には働きに出ないので、気づかなかったのです。
 巣箱をひっくり返して確認するとやはり空っぽで、巣はスムシが湧いてボロボロになっていました。たくさんのスムシに襲われて巣を食い荒らされミツバチたちは巣を放棄したのでしょう。
 掃除をしました。古くてボロボロにされた巣を取り除いているとたくさんのイモムシのようなムシ(ハチノスツヅリガ?の幼虫)がうようよいました。

 さて、もう一つの残った巣箱はたくさんの働き蜂が出入りしていました。4月13日、今年初めてタケノコ掘りに行こうと準備をしていました。午前9時40分頃、ブーンというたくさんの羽音が聞こえだし、分封が始まりました。巣箱から飛び出し、近くの木に集まり蜂球をつくるところまで一部始終を観察できました。一回目の分封です。かなりたくさんの蜂群です。

 掃除してあった、古い放棄された巣箱に入ってもらうことにしました。

 そのときはうまく入ってくれて安心していたのですが、なにか気に入らなかったのでしょう。2日後、逃避されてしまいました。

 それから一週間後の4月21日、2度目の分封です。

 この日もタケノコ掘りにでかけようと用意をしていて、ふと以前分封の時蜂球をつくっていたアオギの木をみると何と同じ場所に蜂球がぶら下がっていました。午前9時過ぎのことです。きょう分封したのでしょうか?それにしては時間が早すぎる気がします。だいたい分封は10時過ぎ頃がもっとも多いように思います。昨日分封して、ここに付いたのでしょうか?それなら急がないともう少ししたら新しい巣に向かうはずです。


 アオギの木に集まった蜂球、ミツバチたちは蜂球をつくるとき手当たり次第にどこにでもとりつくのではありません。とても頑固な選出基準をもっているようです。この時も前回と寸ぷん違わずまったく同じ場所でした。おそらく、近くに幾つかの巣箱をおいていたらほとんどの巣箱の分封にこの場所が蜂球の場所として選ばれるのでしょう。昔、祖父がたくさんのミツバチを飼っていたとき、近くの樫の木の、ある特定の場所がこのように利用されていました。もしかしたら、分封はある時期(当地では4月20日頃を中心に)に集中して行われるので、最初に利用した蜂群の何かの印(ニオイなど)が残っているのかもしれません。


 蜂球の様子、蜂の量は普通ぐらいで前回の8割ほどでした。日本ミツバチは新しい住処を見つけてから分封するのではなく、こうして巣別れしてからどこかにとりつき、その蜂球から偵察隊が四方八方に飛び立ち新しい住処の情報を集め、報告された幾つかの情報をもとに複数の偵察隊が確認し、衆議一決、決めた新しい巣に、いっせいに飛び立ち向かうようです。


 レジ袋で蜂群を巣箱に移動しようとしている私です。以前は日本手ぬぐいを利用していました。手ぬぐいを半分に折りたたみいっぺんを解放し2辺を縫ってもらって袋をつくりそれで蜂球を掬い取っていたのです。日本ミツバチのことを書いた本にレジ袋でも利用できると書かれていたので、以来もっぱらレジ袋です。昔は盆暮れに、商店からお得意さんにお使い物として日本手ぬぐいがよく配られていて、どこの家庭にもたくさんありました。いまはそんな風習は少なくなり、あっても普通の手ぬぐいで、商店の広告付きの日本手ぬぐいが農家の主婦の頭から消えて久しいですね。
 ただレジ袋を使うときは気をつけなくてはならないことがあります。袋の表面はつるつるなのでミツバチたちは足を引っかけることができません。そのため蜂球の量が多いと底の方になったミツバチたちが被害を受けることがあります。全ての蜂がどさっと落ちるため底になったミツバチたちが、重さのため窒息する、あるいは中心部にいる蜂たちが焼け死ぬ(ミツバチたちが集まるとかなりの熱をもちます。蜂球の中に指を入れると熱を感じますので30数度はあります。世界最大のスズメバチで天敵のオオスズメバチと対峙するとき、巣に進入したオオスズメバチをミツバチたちが包み込み、小さな蜂団子になっていっせいに筋肉をふるわせ熱をだして焼き殺すという戦術は有名です)、あるいはそれら全ての原因で沢山のミツバチが死んでしまうことがあります。
 こういうことからすると、日本手ぬぐいの袋というのは、とても合理的であるということがわかります。布ですので密封されるということはありません。足がかかりますが洋手ぬぐいほど毛羽立っていないのでふるい落としやすい。まだ母が持っているはずなので、昔ながらの「ミツバチ捕獲用日本手ぬぐい袋」を作ってもらおうと思います。
 
 

 レジ袋でほとんどのミツバチ(95%以上)をいっぺんで掬い取り、巣箱に移しているところです。レジ袋を逆さにしてそろりと全部の蜂を巣箱の前に落とします。
 巣箱は傾けて入り口を大きく開けておきます。ミツバチたちは暗いところを求めて?ぞろぞろと巣箱に入っていきます。




 赤丸の少し大きくて黒っぽい蜂は雄蜂です。


 ぞろぞろ入っていって残り少なくなりました。
 
 やがて、全ての蜂群が新しい住処に収まりました。めでたしめでたしといいたいところですが、この巣箱は前回逃避された巣箱。その上、懲りずに設置場所も同じ所。はたして、新住居として気に入ってもらえるのか不安です。この日は午後から雨になり、明日も一日雨の天気予報です。答えがでるのはその後。

 またも逃避されてしまうと、やはりものぐさはだめだということが証明されます。新生活をはじめてくれたら、今までどおり「ミツバチの気持ちはわからん」ということになります。はたして。

 2012年4月27日 後日譚

 分封したミツバチを納めた蜜どう(巣箱)のミツバチたちはどうなったでしょうか。
 実は本日も元気にたくさんのミツバチが働きにかよっています。「ミツバチの気持ちはわからん」ということでめでたしめでたしでした。

 巣別れしたもとの巣箱のミツバチたちは3~4割が後ろ足にたくさんの花粉をつけてもってかえっていますが、新しい巣箱に入ったミツバチたちはまったく花粉をとってきません。せっせと巣を作っているのでしょう。そして蜂蜜をためているのだと思います。もう少しして巣がおおきくなり幼虫を育てる前ぐらいから花粉をとってくるのでしょう。

 それにしても、かれらの働きぶりや巣箱への出入りを眺めていると時間の経つのも忘れて見とれてしまいます。

 少しは休みもとってゆっくりしておくれ。

標識放流266号(2012年度第1号)

2012-04-29 21:07:00 | アカメ調査室

 2012年開幕 岡田さんおめでとう

 2012年4月27日、嬉しいメールが届きました。岡田さんからです。
 「・・・今年初のアカメを釣りました・・・。
 これから忙しくなりますね。」



 釣獲日:2012.4.27
 釣り人:岡田 勝さん
 全長:31センチ
 体長:26センチ

 岡田さんおめでとうございます。

タケノコ狩り

2012-04-23 07:44:00 | わが町安芸市・日々つれづれ・山日記

2014年4月15日(日)

 ここ数年、あまりの忙しさに、できなかった親しい人たちとの恒例のタケノコ狩りを敢行しました。孟宗竹のタケノコは最盛期です。とはいってもそれも最盛期の後期にさしかかっている時期になりました。ほとんどのタケノコはもう土の上に頭を出しています。
 雨後の竹の子といいますが、いったん頭を出したタケノコはぐんぐん伸びていきます。ピーク時には1日に数十センチも伸びるといいます。


 もう何年も竹林の世話をしていません。すでに密植ぎみになっています。竹の間隔は傘を差してゆったり歩けるほどがよいそうなのですが。竹と竹の間隔が詰みすぎるとタケノコも生える数が減ってきます。またタケノコを掘るのも窮屈になります。


 今年は表作でタケノコは豊作。昨年末、11月から12月、イノシシの被害が続出していました。どこの竹林もユンボで穴掘り工事をやったような状態になっていました。現在でもときどきこのようにイノシシがタケノコを食べていますが、どちらを向いてもタケノコだらけという豊作ですから、さすがのイノシシも食べきれません。


 この画像は、いまだ土の中にタケノコがあり、もう数日で頭を出す状況です。タケノコとしては最も値打ちが高いもので、先端も黄色です。顔をだすと黄色から緑色に変わってくるのですが、当地ではこういうタケノコを「うもれこ」と呼びます。「キイコ」と呼ばれてもてはやされるタケノコがこれです。
 盛期のものだから大きく、そのため土が盛り上がり、大きなひび割れができるため発見しやすい。しかし、素人にはそれでも発見は大変難しいようです。




 赤丸上はタケノコの先端部で、「髪の毛」と呼んでいますがこれが付け根の場所を示してくれます。突先が向いている方の根茎からタケノコが出ています。最後にクワで切断して掘り出しますが、この赤丸下の部位にクワを打ち込むと一撃でタケノコを傷めずに掘り出すことができます。


 タケノコの生え方。
 タケノコは竹の地下茎から芽を出して大きく成長して竹になります。タケノコはよく栄養を蓄えた地下茎から次々と生えてくるので、タケノコを一本見つけると、その近くをよく観察するとよいことがあります。運がよければ芋づる式に発見が可能です。






 えんとこどっこいしょ


 今回の獲物。みんなで山分けしました。


 きれいに咲いているのは「カイドウザクラ」。
 花見をしながら山の幸をみんなで堪能しました。ニホンジカの唐揚げ、タケノコの煮物、イノシシの煮物、ニホンジカのスペアリブ、タケノコの入った五目寿司などなど。シートの右側に転んでいるのは土佐ブンタンです。

古酒

2012-04-13 10:17:00 | わが町安芸市・日々つれづれ・山日記
 私は酒が好きですが、あまり飲めません。

 飲んべえの国としては、土佐と越後が筆頭だそうです。越後は知りませんが、土佐では、「しょうしょう飲める」と言うと、少々ではなく升升で2升は飲めると言っているのだとよくいいます。

 宴会ではやれ飲めそれ飲めと勧められます。ぐいっと飲み干した杯を、そのまんま「ほい」と渡され、なみなみと注がれます。ぐいっと飲み干して「どうも」と返杯するのが土佐流の飲み方です。それほど強くない私の前には、こうして渡された杯がいくつも並ぶのです。貧乏性の私は律儀に飲んでいるとすぐに酔っぱらってしまいます。

 モンゴロイドの人々はアルコールに対して「大変強い」「少しは飲める」「全く飲めない」の3タイプがあるそうです。コーカソイドは全て「大変強い」のだそうです。うらやましい。私は中間。

 全く飲めない人にやれ飲めそれ飲め、「俺の杯は受けれないのか」と無理矢理勧める人もおりますが、あれはいけません。しかし、最近では全く飲めない人は「私は運転手ですので」と断ると、無理強いがぴたっと止まるようになってきました。これも、ものすごい罰金や処罰になったおかげのようです。運転することが判っているのに酒を飲ませると飲ませた人も罪に問われるのです。

 ありがたいやらおそろしいやら。

 先日、アカメのことでとても嬉しい出来事がありました。普段は晩酌はまったくやっていませんが、時に嬉しいことがあればカミさんが、「祝杯をあげましょう」と勧めてくれます。カミさんも私同様「少し飲める」口なので、ウマが合います。

 確か、冷蔵庫の野菜室に日本酒を保管してあるはずと、覗いてみますと何本かあります。
 5合瓶を取り出したのですが、まだ封も切っていません。よく見ると、製造年が平成8年なのです。「おお!これはすごい。完全に古酒になっているではないか」と声が出ました。


 
 早速、封を切って先ずカミさんにお酌をして、私も注いでもらいました。「おお、これは美味い」またも声になりました。実に美味いのです。少しだけ色もついていますが、まったりととろけます。それでいてすっきりした飲み口なのです。



 飲んべえでないことを喜びました。実は古酒になったのは偶然ではありません。私は古酒が大好き。好きになったきっかけですが、もう一昔(二昔?)前にある高知の酒好きの集いでもの凄い酒を飲んだことがきっかけです。

 その酒は下記に紹介する「銀河鉄道」という酒でした。下記はネットで紹介(宣伝)していたものをそのまま引用しました。


「千代の亀 銀河鉄道」純米大吟醸生長期熟成生酒

五十崎の禊地区で収穫された契約米の松山三井を30%まで精白し、仕込み、モロミ管理そしてしずく搾りにいたるすべての行程を細心の注意と愛情を注いで造られた純米大吟醸を生のまま凍結貯蔵。
時を経る事十年、やっと日の目を浴びることとなった秘蔵中の秘蔵のお酒です。
そんなお酒だから、飲む側にもそれ相応の仁義を要求します。
心穏やかに謙虚な心持ちで 十年の眠りからゆっくりと目を覚ますのを、しばし待つこと約30分(外気温20度くらいの場合)。
春の淡雪が解けるが如くシャーベット状になったとき、やわらかで官能的な甘い香りが鼻腔をくすぐる。
しかしこれはなんというお酒だろうか?
天使が去った後の残り香、それとも桃源郷に咲く不老不死の果実の匂い?
ほとんど奇跡といっても過言ではない、豪奢にしてして繊細な味わいはまさに亀岡マジック。
特別な日を彩るお酒にぜひ。酒徒必飲の一本。

お酒のスペック
 使用米:内子町産契約栽培松山三井 精米歩合:30% 酒度:+5  酸度:1.4
アミノ酸度:1.2  酵母:9号  貯蔵年数 10年

 愛媛県のお酒です。

 お酒の集いで私が感激していると、ある酒造会社の杜氏さんが、家庭で簡単にできる古酒の作り方を教えてくれました。
 どんな酒でもできるのではありません。純米酒であることが条件なのです。銀河鉄道のような大吟醸である必要はないそうです。アルコールが添加されているものはダメで、純米酒だけ。
 
 作り方:瓶の口をビニールテープで密封します。酒瓶を新聞紙などで包みます。光をあてないようにするためです。そしてそのまま、冷蔵庫に数年静かに寝かせるだけ。それでとても美味しい古酒ができるのです。

 私が今回飲んだものは何と16年もの。

 「飲んべえには絶対できん」と教えてくれた杜氏さんが言っていたのですが、それは、何年も冷蔵庫にいれて我慢ができるかどうかにかかっているのだそうです。
 
 私は飲んべえでないので、こんな至福を味わえたのであります。