管理人が世田谷区に転居してから、近くにある都立蘆花恒春園内の蘆花記念館を見学して二つのことに驚きました。
一つは、徳冨蘆花が幸徳秋水の死刑判決に対して明治天皇に嘆願書を出していることでした。管理人は新宿区富久町にあった市ヶ谷刑務所と大逆事件で死刑になった幸徳秋水らのことと、秋水らが霞ヶ関の裁判所へ護送される馬車を見た文学者永井荷風については少しばかり研究をしていたからです。【葵から菊へ・市ヶ谷刑務所編】【「監獄書の裏」とは「東京監獄の裏」なのか、「市谷監獄の裏」なのか】 秋水は堺利彦らと平民社を設立し、平民新聞を創刊しました。そして朝鮮侵略 反対の決議をします。とこらが明治政府は「大逆事件」で秋水を検挙しました。
もう一つは、蘆花が中国・旅順で入手した「安重根の書」が展示されていたことです。管理人は「中国平和の旅」で哈爾浜市にある「安重根記念館」を見学し、安重根が処刑された旅順市の旅順監獄を見学していたからです。
旅順監獄の正面(ロシアの統治時代に建てられ、関東州になってから日本式監獄に増築されました)
安重根の独房
監獄敷地の北東(鬼門の方角)にある刑死場。2階建てになっていて1階から遺体を棺桶に入れてから塀の外に運び出し、監獄墓地に埋葬します
絞首刑に使うロープ
床板が開くと落下して首が絞まります
管理人が見つけた刑死者が出される不浄門(江戸城にも、東京拘置所にも不浄門があります)【市ヶ谷刑務所にも不浄門があった】
蘆花記念館内の説明パネル
明治天皇への嘆願書
安重根の書(展示品はレプリカで本物は書庫に収蔵。同記念館は築50年で湿気対策もありません。早期の建て替えが関係者からも望まれています)
秋水書院の説明板
蘆花の茅葺き自宅(右から母屋、梅花書屋、秋水書院)
平成26年度千歳村文学講座「徳冨蘆花を知る」第8回講話「巡礼紀行とトルストイ」講師布川純子氏(神奈川工科大学講師)のレジュメから抜粋します。
『順礼紀行』の結びの章は、〈愛する我故国〉となっている。そして、〈さらば日本よ〉では、次のように書く。
「さらば日本よ。余は終に爾を愛せざる能はず。」「爾の神を畏れ、爾の隣を愛し、爾の額に汗し、爾の汚を洗ひ、爾が剣を抛ち、爾が砲台を毀ち、爾が税関を開き、爾が四周の海を風の思ふまゝに掃ふ如く爾が胸を世界に向つて開け。日を旗じるしとする民、爾が義の日を四海に輝やかせ。」
日本を愛さないわけにはいかないといい、そしてその愛する日本とは敵国に勝ち威を世界に輝かすような日本ではない。逆に隣国を愛し一切の武器を捨て、世界のすべての国々に向かつて胸を開くようなおおらかな明るい平和主義の日本である。
■蘆花は、今も地元の人たちから「蘆花さん」と親しまれ、京王線の芦花公園駅から、芦花幼稚園・芦花保育園・芦花小・芦花中・芦花高校、そしてマンション、高齢者施設にも蘆花の名前がつけられています。
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