昨日と今朝の各報道機関は「北朝鮮政府に損害賠償を求めた訴訟判決」の記事を掲載しています。『ところが「しんぶん赤旗」は完全に無視していています。「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」が支援していますが、きっと日本共産党とは「思想信条・運動方針」が違っている団体だと思われます。』と記述しましたが、本日11月1日の7面に記事がありましたので表題を訂正します。
しんぶん赤旗7面
朝日新聞の記事
北朝鮮帰国事業訴訟 損害「日本に管轄権」
「過酷な生活」高裁が差し戻し
「地上の楽園」などと宣伝された北朝鮮帰国事業で移住し、過酷な生活を強いられたとして、脱北者4人が北朝鮮政府に計4億円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東一星局裁(谷口園恵裁判長)は30日、 「日本の裁判所に管轄権がある」と判断し、訴えを退けた一審・東京地裁判決を取り消して審理を地裁に差し戻した。
高裁は北朝鮮の行為について「事実と異なる情報で渡航させ、過酷な状況で長期間の生活を余儀なくさせた」と述べた。
原告は1960572年に北朝鮮に渡り、2001503年に脱北した4人。北朝鮮側は全く出廷せず、主張書面も提出していない。
地裁は、北朝鮮側の行為を①虚偽の宣伝で勧誘した②出国させずに在留させたに分け、①は除斥期間(20年)が経過し、②は国外の行為で日本の裁判所に管轄権はないと判断した。
一方、高裁は、①と② は「継続的な不法行為」と評価。侵害は当初は日本で発生しているため、管轄権は日本にあり、地裁でもう一度審理すべきだと判断した。
原告側代理人の福田健治弁護士は会見で「画期的な判決」と評価。差し戻し審で賠償が認められれば「日本国内にある北朝鮮の財産の差し押さえを検討したい」とした。
(田中恭太)
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映画「千里馬(ちょんりま)」が有楽町そごうデパート8階「よみうりホール」で上映され、長蛇の列ができました。管理人も鑑賞して、北朝鮮は「地上の楽園」と思い込まされ、美化に加担したことになりました。
ホームページ「映画「チョンリマ(千里馬)上映会」より
映画『チョンリマ(千里馬)』は日本の映画人が1963年に北朝鮮を取材して制作した「ドキュメンタリー映画」として、1964年8月27日に初公開されました。
1959年12月に始まった北朝鮮への帰国事業は、在日社会のみならず、それを支援する日本の「革新政党」(管理人 注:日本共産党のことでしょう。)や労働組合、「進歩的文化人」のみならず、保守系の政治家も加わって、大きな社会運動として、熱狂的な雰囲気で実行されました。
そのときの合い言葉が「地上の楽園」でした。そして、その「地上の楽園」を建設していく姿の象徴が「チョンリマ(千里馬)」でした。
「チョンリマ」とは「一日に千里を駆ける馬」という、超能力をもった伝説の馬です。
「朝鮮半島の北半分を統治している朝鮮民主主義人民共和国では、今チョンリマの勢いで国の建設が進み、その発展はすぐに日本を追い越すほどの勢いである」と、伝えられ、少なくない人々がそれを信じ、その国の未来に希望をもって見つめたのでした。
ほとんどの人たちは、その国の実情を直接見聞きする機会もないままに、それでもその発展に希望と期待をもち、そこに厳しい生活からの出口があるのではと思ったのでした。当時はそう思うことが自然であるような社会状況でもあったのです。そのため、北朝鮮への帰国を支援することが「人道的」であると考える日本人も多くいました。映画「チョンリマ(千里馬)」を制作し、全国で上映会を実行していった人たちも、そうした人たちでした。
北朝鮮帰国事業60年を迎えた今、すでに北朝鮮への帰国者が大きく減少していた1964年からこの映画は上映され、北朝鮮への帰国希望を勧誘する役割を果たしたといえます。
わたしたちは、今この映画を一先ず無の心で鑑賞し、そして当時熱心にこの帰国事業に取組んだ人、北朝鮮から日本に戻った人、北朝鮮に家族を送った人などと、率直に話し合い、異なる意見、相反する見解を、言い合うのではなく、聞き会いたいと思います。
どうか、多様な立場に人たちがたくさんこの映画をご覧くださり、深い意見交換ができることを願っております。
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過日、発刊された「日本共産党の百年」の170~171頁には「北朝鮮問題」について僅かばかりの記述があります。宮本顕治書記長(当時)は「金日成への個人崇拝の強まりも目撃しました。」だけでは無責任のそしりは免れません。とりわけ党員と党支持者に映画「千里馬(ちょんりま)」の映画鑑賞を推奨したことを反省しなければならないでしょう。『共産党は代表や記者を平城に常駐させながら、北朝鮮の人権無視の状況を隠してきたことは許せません。いまさら、批判的だったと言い訳しても説得力はありませんね。』(友人の話)ウイキペディア「赤旗平壌特派員萩原遼」
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一九六八年の北朝鮮訪問――「南進」問題の過ちをただす
このころ、東アジアの平和の見地から大きな懸念をひきおこす動きが、北朝鮮で表面化していました。一九六七年の終わりごろから、北朝鮮が“南の革命的大事変を主動的にむかえる”と称して、“武力南進”をくわだてる動きをみせたことです(六七年十二月、「十大政綱」)。
六八年一月には、北朝鮮が送り込んだとみられる武装グループが韓国・ソウルの大統領官邸を襲撃するなど、憂慮すべき事態が生まれました。アメリカがベトナム戦争で手いっぱいのときに何かをやろうとしているとしか思えない動きでした。
党は、これを黙過できない事態と考え、六八年バ月、党代表団(団長・宮本書記長)を北朝鮮に派遣し、「南進」 のくわだての誤りをただすことにしました。会談で、党は武力介入の危険性と有害性を指摘し、金日成は、「主動的に〔自分の方から〕戦争をはじめるつもりはない」と言明しました。このときは、武装グループの活動も収東に向かいました。
この訪問のさいに、党代表団は、宿舎に盗聴器をしかける北朝鮮の秘密警察的なふるまいと遭遇し、金日成への個人崇拝の強まりも目撃しました。その後、北朝鮮からは、日本の運動に金日成崇拝と外交路線への支持をおしつける態度がつづき、七〇年四月には、「よど号」乗っ取り犯が、北朝鮮に「亡命」し、反共攻撃に利用されました。
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うたごえ喫茶では北朝鮮の歌を好んで唄いました。
「ヴァーチャル歌声喫茶 のび」をご覧ください。
【Korea】
朝露
アリラン
海の歌
ウリナラコ
美しきわが故郷
彼らのための行進曲
黄金のリンゴの木をうえた
作業場の休憩
わが祖国(北朝鮮)
つつじ
つつじの花
統一列車は走る
東京-平壤
トラジ
畠へ行こう
平壌は心のふるさと
平和を願って
鳳仙花
リムジンガン
我が国の花
管理人のエーちゃんのコメント「統一列車走る」「曲が大好きで、当時は(30年前)は、詩の内容も、それなりに説得力があったのですが.....今では、北と南を置き換えたほうが現実的でしょう。」でした。
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「韓国併合」という朝鮮半島植民地化の責任者だった「桂太郎」の墓を日曜日にガイドしましたが、朝鮮半島の平和のために頑張りたいと思っています。
(了)