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南から北へ統一列車は走る

2011年12月19日 | 韓国・北朝鮮問題

 管理人はNHK正午のニュースを見ていたところ、画面に「ニュース速報」のテロップが流れると同時に、朝鮮中央テレビの女性アナウンサーが正午からの特別放送で「最高指導者で国防委員会委員長の総書記が17日午前8時半、現地指導に向かう列車の中で急性心筋梗塞で死去した」と報じた。同時に「今日わが革命の陣頭には、わが党と軍隊と人民の卓越した領導者(指導者)である金正恩同志が立っている」と訃告を読み上げ、正恩氏への後継体制移行が確定していることを示した。

 産経WEB新聞は『故金正日総書記も父・金日成(1994年死亡)と同じく、北朝鮮の国民に十分な食べ物を与えられないまま亡くなった。48年の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の建国から63年。親子2代にわたる長期の統治にもかかわらず、北朝鮮は国家としてついに浮上しなかった。国民も極貧から抜け出ることができなかった。 「代を継いだ」金正日体制は、建国以来の国家としての最大目標だった「米のご飯と肉のスープ」を最後まで国民に提供できなかった。国民を餓死させたのでは他にどんな成果があっても指導者としては失格である。 北朝鮮の社会主義はすでに金日成時代に行き詰まっていた。経済疲弊や国民のヤル気喪失、生活苦は内外で確認されていた。そんな中で90年代には最大の支えだったソ連・共産圏が崩壊し、東西冷戦状態が終わったのに、北朝鮮だけは変化に背を向け続けた。』と論評しているが、管理人も同意見である。

 管理人の青年時代は、北朝鮮を社会主義の理想郷だと教えられ、映画「千里馬(チョンリマ)」を有楽町そごうデパートまで長蛇の列をつくって観にいったり、歌声喫茶では北朝鮮の歌を盛んに唄っていた。金日成体制を支持した当時の日本共産党指導部とその後、主体(チュチェ)思想を礼賛してきた日本社会党指導部(現社民党)に北朝鮮への現状認識を誤らさせた責任があると考えている。

 当時唄った北朝鮮の歌に「統一列車は走る」がある。

   汽車は行く 汽車は行く 南を目指して
   統一の汽車は行く 南を目指して

バーチャルうたごえ喫茶“のび”」の管理人エーちゃんのコメントを紹介したい。

『曲が大好きで、当時は(30年前)は、詩の内容も、それなりに説得力があったのですが.....今では、北と南を置き換えたほうが現実的でしょう。』

 管理人のブログ記事「朝鮮半島38度線分断の歴史」で紹介したように、日本の敗戦後は「朝鮮を自由独立させる」としたカイロ宣言に違反して、38度線で朝鮮を南北に分断したアメリカとソ連(現ロシア)が負わなくてはならない歴史的責任の重さを追及しなければならない。それ抜きに東アジアの平和と安定は訪れないであろう。だからといって朝鮮を「併合」のことばで植民地にした日本の責任に我々が正面から向き合うことを軽視していることではない。

 

 

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