「鳥肌がたった」20歳女性の犠牲者が新たに判明 東京・八王子の中央本線 最大規模の列車空襲から80年を経て慰霊碑に名を刻む #きおくをつなごう #戦争の記憶
「八王子湯ノ花トンネル」の悲劇は、アメリカ軍戦闘機P-51マスタングからの機銃掃射によるものです。
老生が住んでいた杉並区井荻1丁目(現・善福寺一丁目)は、近くに中島飛行機東京工場がありました。
1944年11月、中島飛行機武蔵野工場と東京工場にアメリカ軍戦略爆撃機B-29の空襲がありました。
近くの畑に500キロ爆弾が落ちて大きな穴が空いたので、老生も見に行きました。自宅の階段の踊り場に銃弾が飛び込みましたが、憲兵が来てその銃弾を持ち帰りました。
父は、「長男大事」と考えて、知り合いの元八王子村に縁故疎開をさせ、元八王子国民学校三年生に編入しました。「東京ッ子」といじめられました。
元八王子国民学校三年生の記念写真(最前列の右から二番目が老生)
1945年8月3日、空襲警報が鳴ったので、防空壕に逃げ込みました。畑すれすれに飛来した戦闘機のパイロットの顔が見えました。戦闘機の先が尖っていた事はハッキリと記憶しています。
八王子市郷土資料館で調べたら、P-51マスタングであることが分かりました。P-51マスタングのロケット砲で校舎は壊滅しました。
杉並の自宅に戻り、ブラブラしていましたが、翌年、杉並区立桃井第四小学校三年生に編入しました。
(了)