カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

最近食べた和菓子

2012-10-21 | エッセイ

                 



                               


フォト1枚目は自宅庭に咲いたゴーヤの花。後は近所の和菓子屋の和菓子。
和菓子屋は「禅寺丸本舗」や「亀屋万年堂」など。
亀屋万年堂はそれがあるなら鶴屋千年堂(つるやせんねんどう)というのはないのだろうか、
などと冗談を言っていたら、本当にテレビで偶然そういった名の店を紹介した番組をやっていて
驚き、笑ったことがある。全国ともなれば思いつく名の店はあるものなのだ。
禅寺丸本舗はおそらくは家の近所にしか無いだろうと思う。「禅寺丸」というのは柿の1品種の名。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駒ヶ根の街、美術館、光前寺など

2012-10-20 | エッセイ

駒ヶ根の街、美術館、光前寺など
少し、駒ヶ根という街についてゆっくりと落ち着いて書いてみたい(たとえ短文でも)と思ううちに日が経ち今日に至って記憶も薄れがちだ。駒ヶ根へ行ったのは今年の8月の下旬である。目的はこのときははっきりしていて木曽駒ヶ岳、宝剣岳への登山だった。
 駒ヶ根という街はその登山口へ通じるロープウエイの麓に位置する街である。峻峰を背後に控えた登山の街でもあるのだ。それでも地図で下調べを軽くしていたら池や美術館や寺があるので何か自分として有意義な時間が過ごせそうな気がした。勘であって特にその地図などに細かく何かが記されていたわけではない。
 その日、本当に好天に恵まれ山歩きを満喫して下りてきて、時間的にフリーな状態になった。ここのバス乗り場隣の味工房のソフトクリームや食事なども美味しく満足であったのだが、それにも増して、こんなところにと言っては失礼かもしれないが、美術館と寺が意外に良かったのである。
 美術館は始めは建物も良いなと思ったのだが、良く考えられてはいるけれど、入館していろいろ展示物を見るうちに、限られた建設資金の中、やっと建てたのかも知れないと思うようになった。きっと人工物の何もない山から下りて来た直後で目が建物のような水平線、垂直線のはっきりしたものに多少なりとも飢えていたので建物が最初の印象ですごく立派に見えたのかもしれない。
 それでも展示物は自分にとっては興味のある人々のものが飾られてあったのである。池田満寿夫、それに藤原新也。池田満寿夫はこんなところになぜ作品がといった感じに思ったが、長野県に住んでいたことがあったらしく縁はあったようだし、藤原新也の方はほとんどなさそうだったが、それでも作品が展示されているということは在住していたとか否かということ以外にやはり何かその作品とこの地を結びつける何かの力が働いたのだろう。
 池田満寿夫の絵は、いつものごとくリトグラフが飾られてあり、のびのびとした一切を気にしないかのような線が何本も重なって、リラックスして肢体を広げた女のヌードをそのまま正面から描いたものだった。記憶だと色が赤色や黄色などのそれも綺麗な色を使ったものだったと思う。あまりにいつもの作者そのものだったので笑ってしまった。他の作家のものもあったけれど際立った違いと言えばそのあっけらかんとしたディテールにこだわらないその感じだっただろう。その他に作りかけて壊れた、というか、わざと途中で壊した陶器が飾ってあった。でもやはり彼はリトグラフの方だ。
 藤原新也はそれだけで展示にワンスペースを与えられていた。照明を暗く落とした円形の展示スペースにぐるりと写真が飾られてあった。その脇に書かれた、彼独特の詩的な、つぶやきとも取れる言葉とともに。インド放浪の時の写真だなとすぐに分かった。字数少なく添えられたその言葉が、詩的というか、俗なコピーなどを越えた感覚をこちらに与えるのだが、ちょっと格好良過ぎるなという感じもした。しかし、当時はそれが、強烈なコピーとして写真以上にマスコミの世界を一人歩きしたのだ。そのことをかすかに覚えている。本の方はほとんど読んでいなかった私でさえ、その短い言葉は知っていたからだ。
 今回あらためて、というより初めてゆっくりと写真を眺めることができた。他に一人二人くらいしか展示場にはいなかった。静寂の中で一つずつその写真を見て思った。これらの光景はインドではそれほど珍しくはない。写真もそんなにピントを合わせたりということに精神を費やしてはいない。ブレているのもある。でも、要はそこにいてそこで撮った自分、ということなのかもしれないなと。若き日の写真家がそこを歩き、一瞬でもシャッターを押すために立ち止まった、その光景を今見ているのだ、と思った。少しだけ藤原新也の目となって・・・。
 展示場の暗がりから出ると、あまりに明るく我に返った。別世界にいたような印象だった。良いものを見たと思った。
 外へ出ると山と山の間にある街とはいえ、まだ明るかった。簡単な地図で見ると、光前寺という寺があり、これもお勧めの観光コースに入っている。来る途中でそこへお参りに向かうお年寄りなどをちらほら見かけたので、思ったよりも良い寺かもしれないと思っていたらその通りで、こんな小さな街に、と思うくらい参道の木立や境内の配置などが良かったのである。境内が意外に広く、寺の建物の配置がきっちりとしたものでなく、どう言うか自然に散らばったように散文的に配置されて、それが丁度良い具合だと思った。林の中に適度に離れて建物があり、自然に緑の中を歩く感じになるのである。箒を持って掃除をしている女の人が、野草か何かの庭もありますよ、と言ってくれたがそこは時間などの関係でパスした。街なかの大きな寺ではないけれど、好い感じの寺だった。だから、ガイドブックなどに載っているのだ。この二つを見てほぼ満足した後、意外と簡単に満足するのであるが、夕暮れ迫る街を気ままに車を走らせ、車で走っても何かゆったりした好い街だな、と思うのだった。
 登山に付随した、駒ヶ根という街の個人的な印象である。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピカソなどの絵が盗難に

2012-10-20 | エッセイ

オランダで絵画の盗難事件があったそうで、話題になっている。

・REUTERS : http://jp.reuters.com/article/entertainmentNews/idJPTYE89G00J20121017
・NHK NEWSweb : http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121017/k10015800701000.html
・AFP BBNews : http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2907848/9691577
・the asahi shimbun digital : http://www.asahi.com/special/art/TKY201210160766.html


オランダのクンストハル美術館でピカソなどの絵画が盗まれる事件が起きた。美術に関心の深い人々の間では話題になっているらしく、直ぐにいろいろとblog up がなされているようだ。そのスピードたるや、盗むより早く伝えられているのではと思うくらいだ。

7点が盗難にあったとのことで、どういった絵が盗まれたのか見てみると、ピカソ、モネ、マチス、メイエルデハーン、ルシアンフロイド、ゴーギャン。この内、モネが2点。7枚の絵の内で、モネは一般には人気があるのだろうけれど、自分としてはあまりピンと来ない。2枚とも橋の絵なのだけれど、橋を描くなら何でもう少し水も濃く描かなかったのかな。「盗難の話」が「好みの話」になっているが、それで良いこととして、この中であくまでも個人的に好いなと思うのは、ピカソとマチスの作品。実物はどこかで出ない限りはもう観られないということか・・・。いったいどこのどいつが盗んで行ったのか? 

いろいろなweb page で取り上げられているが、大体が事件などのカテゴリーに入れられている。ロイターはエンターテインメントの項目に入っている、笑。どれも名画だから世界中の人々の間で話題になるということだとは思うが、最近はニュースなど情報の劣化が激しく持続性が無くなっているように思われるし、数日で忘れ去られるかもしれない。

事件とは別のところで、このクンストハル美術館のフォトをニュースの中でたまたま見て、好いなと何か感じるものがあり、見てみたらオランダ人建築家のコールハースの設計だった。やはり・・・。内観のフォトがあまり無いようで少し残念。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Drawing★oct2012

2012-10-19 | アート

drawing


drawing                                                                                              oct2012




drawing                                                         oct2012




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

街の中の絵

2012-10-18 | エッセイ


絵のある風景。あるファミレスで。1枚の青い絵は目立った。
絵かと思って近くで見ると、写真だった。
湘南海岸を走る車のヘッドライトが綺麗に流れて映っていた。


横浜の街で見かけたあるポスター。
何か好い感じだった。



今話題のまつげ美容液
というCMがこのところblog下に付いている。
CMもさほど気にならなくなった。暇なので見てみたが、

男の私には関係なさそうだし、片仮名の横文字で書かれたことも
何のことやらさっぱり分からないのだった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鍋の季節になってきた

2012-10-18 | エッセイ

肌寒い日があったりして今夜なども雨が降り続き、寒い。鍋が美味しい季節になってきた。鍋にたっぷりの野菜や肉を入れ、昆布、それに少しの醤油とコンソメの固まりを一つ二つ放り込んで食べると旨い。特に他の味付けをしなくても野菜と肉の良いダシが出ていくらでも食べられる。野菜は白菜や大根は欠かせないが、ジャガイモを入れることもある。これは崩れる前に杓子で取って食べる。最近このジャガイモにヒントを得て替わりにカボチャを入れることがある。カボチャを入れるとどうなるかというと、しばらく煮込むうちに崩れてくるのである。これを利用する。多めにカボチャを入れておくと崩れて食べ進むうちに自然にカボチャの和風ポタージュスープが出来上がる。野菜にナメコが入っていると昆布と一緒にとろみの元となり、黄色みを帯びた軽くとろりとしたカボチャスープが出来上がる。小皿に取って少しだけ醤油をたらし、おろし生姜を加えて食べる。これは旨い。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

癌治療について思う

2012-10-18 | エッセイ

 作詞家の中西礼さんが、新しい癌の治療法で復帰したということが話題となった。陽子線治療という方法だという。それで調べてみた。今はインターネットでいろいろ簡単に調べることができる。良さそうな治療法だと思う。外科的な切開手術をしないで、他の細胞を傷付けもせず、癌細胞だけを殺すことができる。技術的進歩は日進月歩だから、もっと正確にコンピューターでコントロールしたり、スキャンなどもすぐにもっと精密に行えるようになるはずだし、そうすべきだ。性能はもっと上がるだろう。直ぐにでもそうすべきだ。
 その放射線治療法の利点や不利な点などもインターネット上に良い情報はいろいろ出ている。不利な点として、治療費が高い、健康保険が効かない、などがあるが、このようなものこそ、官僚機構、役人の税金の無駄遣いや多過ぎる報酬などの見直しなどで直ぐにでもそれらを当てることができるのではないか?そしてそれは政治の仕事なのではないか?

 いろいろと考えつくのである(もちろん自信満々ではなく・・・)。この治療法に加えて、癌の早期発見を簡単にできるCTスキャンやMRIのような癌専用の設備を開発して組み合わせて行うのである。できれば早く全国的に配置されると良い。多く生産されれば価格も少しは下げられるだろう。談合で価格のつり上げを狙うのは無しである。それは一人数十分程度でCTスキャンなどのように寝っ転がっているだけで機械の中に入って行き全身くまなく小さな早期がんでも発見できる、そんな夢のような医療設備である。癌の早期発見はいまだにバリウムを飲まねばならなかったり、検便したりというのが多く、意外とちょっとしたことではあるが気持ちの負担にもなり、ぐずぐずと後延ばしに診てもらわない人も多いと思う。それで発見が遅れ後の祭りというケースが多いはずだ。早期発見早期治療で治ったかもしれない。こういったことがその設備が開発されれば、相当防げるだろう。それに加えて、その設備を全国に「必要なだけ」(変な農業道路、高速道路、新幹線、ダムなどのように野放図に多くなっても止まらない止められないなどと冗談まがいのことを言っていてはイケない)配置して、もう次々と設備も壊れんとばかりのフル稼働で安く(できれば3000円くらい、仮に保険を効かせないでもそれくらいの価格ならなお良い)、ひとり数十分で検診していくのである。夜中に稼働しても良い。診てもらいたい人はこれを半年くらいに一度(間隔は個人の選択でも良い)、時間のできた時にやってもらいに近くのその設備のあるところへ足を運ぶようにするのである。そういう検診なら気も楽だし時間にも余裕が持てるだろう。ほとんどの人が診てもらうことができるだろう。そこの検査で引っ掛かった人は早期治療で先の放射線の治療へ、となる。もろもろの負担も少なく、スピードも格段に速い。
これらの仕組みを作るのに、何千億も要るから駄目であると言うかもしれないが、その分税金を増やさなくても、本気で税金の無駄遣いを減らせばそのくらいの費用は出るはずだ。あのJALに使われた税金はいかほどだったか。もちろん、そんな冗談をという人もいるかもしれない。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

this and that ・・・

2012-10-18 | エッセイ

「替え歌を作った。さあみんなで歌おう!
 (トムとジェリーの節で) 猫がネズミにかみついた あたりまえだ つまらねえ~ ・・・・・」
「それだけか・・・」
「そう、そこだけ・・・」

「あなたには、ここのお座敷を用意しています。」と言われて、どんなにすばらしい座敷が用意されているのかと思ったら、つんぼ桟敷、という名の座敷だった、とさ。

愚か者、と呼ばれる人がいると、少しほっとする。

街で、以前に比べ大きく変わった所と言えば、新大久保辺りかな。韓国系や他のアジア系の店、歩いている人などもそれ系の感じの人が多い。昔もそういう気配はあったかもしれないが、今は見てすぐ分かるくらいに変わった。街の様子もだが、特にそこにいる人が変わった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近、書いていると

2012-10-18 | エッセイ

・・・辺り、とか、・・・など、とか、・・・かもしれない、とか、・・・のような、・・・も、といった曖昧な言い方を多く使っていると、カッチリ、スッパリした性格の人には何か言われそうだ。もっとハッキリ断定的に言えよ、と。
蚊がいて、背中からお尻のあたりがかゆくて・・・・。→蚊がいて、お尻の右から15センチ、お尻の上端から10センチのところがかゆくて、右手で掻いた。


このところ、何故かは知らないが英語などは話の外として、日本語がどうも怪しくなってきた。書いていて前後の脈絡があまり取れていなくても平気なのである。頭の方か・・・。 も、でも、しかし、などなどをカッチリした使い方をしないでも平気でそのまま進むのである。突進するアートブレイキーならぬ突進する言語製造と言える。ところがそれでスピードが速いかと言えば、もたくたもたくたするのである。前後が入れ替わったような文も出てくるし、後で適当に追加文を入れたがゆえに唐突で脈絡が変になっていることもある。ところがそれでも何か好いような気がしてくるのである。頭が大分柔らかく・・・ではなく緩んでしまっているのかもしれない。風邪薬のせいだな。

 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食べること・レモン汁のこと

2012-10-18 | エッセイ

 食べ物のことはだれしも関心のあるものだと思う。大阪へ行った時に数は少ないながら当地のものを食べた。胃袋は一つしかないので旅行などの短い時間ではあれもこれもとは意外と食べられないものである。大阪は「食い倒れの街」というくらいで、食べ物に関してどれも安くて美味く、そういう意味で期待が外れたことがない。食いしん坊の自分にとっては幸せな時間なのだ。

 食べることにまるで関心がない人もたまにはいるのだが、一緒に歩いていてもあまり楽しくはない。大阪の人は「食べることが好き」なのだろうと思う。だからその街の食べ物が美味いのだ。ところで最近のテレビは(このところテレビで観たことについて書くことが多いような気がする)、食べ歩きの番組が多い。温泉、街歩きなどと重ねた作りとなっていて、こういった番組が夕方ごろからずっと続く時もあるので、いささか食傷気味だ。では、観ないようにすればよいではないか、と言う人もいるかもしれない。そうしようと思う。20代そこそこのよくは分からないタレントか何かが、騒ぎながら食べ歩くのを見るのは、もう御免だ。

 レモン汁というと、少し前に原宿へ行った時にふと目にしたレモン汁作り器を買った。陶器でできたよくあるヤツだ。真ん中が山になって盛り上がっている。レモンを半分に切ってそこに上から押し付けつつグリグリとねじる式のものである。これだと小皿一杯分くらいの大量のレモン汁を簡単に作ることができる。力まかせにやれるので気分爽快だ。
これをやるうち、以前テレビで見たカルパッチョというものを思い出し、レモン汁を多く使いそうな料理だし簡単そうだったので作ってみることにした。作ってみると簡単で、かつ美味い。西洋人は生で魚を食べず日本人特有の食習慣であるかのごとき気がしていたが、よく考えるとこのカルパッチョというのは魚を生で食べているものなのである。今更気が付いたのである。わさびと醤油ではないという違いだ。そこはそれぞれのお国柄で大きな違いではあると思う。そして、オリーブオイルとレモン汁というのも、とても美味い。自分で作るのだからこれでこれから大量に作って食べられるようになった。
 話変わって、先日ある店でカルパッチョを食べる機会があった。これは自分が作るのと違い何か独特の風味があって、とても美味かった。これが本物なのかと思った。薬味に何かが入っているのだろう、地中海辺りの空気が口から広がるのだった。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする