朝一のゆうパックで届きました!
「クラシックCDの名盤 大作曲家篇 」 文春新書
帯にあるとおり「完結篇」。
もう、宇野功芳、中野雄、福島章恭の3人で本を出すのもこれが最後と思われます。
発売日は今月19日。
あと一週間、お待ちください!
定価は850円+税となっております。
お引き立てのほど、どうぞ宜しくお願いします。
座席のせいにはしたくないけど、それを感じられなかったのは悔しい。
アンコールのバッハには、時間の止まるような美しさがあった。テツラフが本物の芸術家であることは間違いない。
ところで、間に合ったと思っていたバーンスタイン&ベルリン・フィルのマーラー9、エソテリックのSACDが知らないうちにキャンセルされてた。
ヨドバシ・ドットコムでなく、ディスクユニオンに頼むべきだったな。吉祥寺店に行くのが面倒で、ネットで済ませたのが間違いであった。
ヤルヴィ&ドイツ・カンマー・フィルのブラームス2日目。
昨日同様、2階席センター最前列で聴いた前半のハイドン・バリエーションとヴァイオリン協奏曲は、オケの弦楽器が十分に聴こえず全く楽しめず。なんというもどかしさ。
ヴァイオリン独奏のテツラフは、アンコールで弾いたバッハの無伴奏(第3番のラルゴ)が本当に美しかったので、本編のブラームスも良かったのかな?
しかし、そのもどかしい音で聴いた範囲では、テツラフの音楽は、野球の打者で言えば、4番の重さはなく、小細工の巧みな2番打者といった趣き。面白さと共に一抹の物足りなさを覚えた次第。
後半の交響曲第2番では、1階の空席に移動。13列目といえば中央通路前のブロックの最後列、その右端から三つ目、2階バルコニー席の斜め下という位置である。これで、ようやく、ヤルヴィとドイツ・カンマー・フィルの演奏の実態が分かった。
スリリングで面白いブラームス。
すべてのメロディに揺らぎがあって、刻まれるリズムにも自然な息遣いがある。緩急は自在で、各テーマをつなぐブリッジの部分での加速が尋常でない。
特筆すべきは、メゾピアノからピアニシモにかけての表現の多彩さで、様々な色合いやニュアンスに彩られていて見事であった。
一方、フォルテやフォルティシモは、耳慣れてくるとワンパターン。弓を激しく弦にぶつける直向きさ、それ自体は悪くないのだが、決して美しい音とは言えない。
ドイツ・カンマー・フィルの弦は基本的に鳴りが悪い。否、敢えて、朗々と音を響かせることを拒否しているようにすら見える。音をたっぷり鳴らしつづけることよりも、手元で細かなニュアンスを産み出すことが大事だと言わんばかりに。だから、たいていのオーケストラなら十二分な筈の2階席センターまで音が届かない。移動先の1階席では聴こえたけれど線の細さは否めなかった。
だいたい、わたしは、自分の演奏がそうであるように、音がたっぷり鳴っていないと物足りない。その点で、ヤルヴィとドイツ・カンマーのサウンドは及第点に達しない。だから、面白いし、スリリングではあったけれど、心の奥底からの感動には至らないのだ。
さて、アンコールでの2つのハンガリア舞曲は、今宵も秀逸。
特に良かったのが、最初に演奏された「3番」。交響曲よりいっそう自由自在なのだけれど、構成の堅牢なソナタ形式よりは、こうした舞曲にはヤルヴィのやり方が生きる。2曲目に演奏された「5番」も、音楽的な運びは見事! しかし、最初の弦のテーマで楽器が鳴っていないので、「3番」ほどの感動には至らなかった。
因みに、客席は昨夜に引きつづき、沸きに沸いた。ひとり酔えないわたしは、余程の天邪鬼なのだろうか?