明鏡   

鏡のごとく

「介護日記」

2017-01-04 22:14:15 | 詩小説
ばあばはいつも海に背中を向けていた。

せっかく、海が見える部屋にいるというのに。

夫とお見舞いに行くと、夫はおきまりのように窓辺の椅子に腰掛ける。


ばあばは、向き合うのが、恥ずかしいのか、いつも振り返りながら話していたのだが、今日はおもむろに立ち上がり、ゆっくりと歩き出したかと思えば、真反対のベットサイドに移行し、夫と目と鼻の先になるように、膝を突き合わせて座ったのだった。

何か話したかったのだろう。息子と。

私は、審判か行司のように、壁際にある椅子に座って、その家族の風景を見守っていた。

じいじの細やかな料理の技に対する一通りの想い。


今さっき、お父さんは帰ったところなんだけどね。

お父さんはね、いつも、人参の型を取るのはいいんだけど、その型を取った残りの枠の方を、抜け殻になった風景の方を、刻んだ肉や豆腐とかと一緒に煮込むのよ。私、それが嫌なの。あの空洞の風景みたいなのが。せめて同じように細かく刻んでほしいの。抜け殻を食べるみたいでなんだか嫌なの。あの人は、それもまた綺麗だからいいじゃないっていうのだけど。私は嫌なの。


じいじは、比較的簡単にできると思われる、お雑煮は面倒だからと作りたがらないが、手間暇のかかる栗きんとんや、煮物や酢の物に使うお野菜は一つ一つ丁寧に型を取って、鶴や松や梅などをあしらって、野菜すらも、美しく飾ろうとするのだった。


夫は、頭を猫のようにかきながら、ばあばの話をぽりぽりと受け流すように聞いていた。


ばあばは一通り話すと、ほぐれたように笑い出した。


突然、ドアが開き、看護師さんが、長いドレスのような、魚屋さんの前掛けのような制服でやってきた。


食事にはまだ早いと思ったら。



お風呂の時間です。


と看護師さんが、威勢のいい声で言った。


「保温活動」

2017-01-04 10:56:29 | 詩小説






保温にしたまま昼まで待つ弁当。

勉強している倅にもたせた弁当はきっと今、保温ジャーの中で汗をかいている。

今年初めて買った保温ジャーの弁当箱。今年初めて持って行った弁当箱で試してみる。

冷たい弁当は、マジ無理。ゲロ吐きそう。

保温ジャーを常備しているという部活の女の子が、そう言っていた気持ちが、少しはわかる気がした。

温かいものを温かいままで食べられるありがたさは、冬にこそ身にしみてくるものである。

職場では、ワンプレートにして電子レンジで温めて食べていたので、なんとも思っていなかったが。

冷たいご飯は太りにくいということも聞いたことがあるので、どちらでもいいことはあるとは思うが。

ささやかながら、疲れた体と頭を満たしていく昼の時間は、寒い冬なので、どちらかというと、温かいほうがいい。


ところで、新年早々、筋トレを始めた倅達であるが、体がじわりと温まり、程よい保温運動として日常化しつつある。

長男は薬師?が使う車輪の両側に取っ手のついた筋トレ道具を手に入れ、ひざまづいてゴリゴリ転がしているが、祈りを捧げる行為のようであり、どの方角に祈るのか考えていないようで一抹の不安はあるものの、いつもはあまり使われない筋肉に、その祈りはなんとか届いているようではあった。

次男はと言うと、インドの修行僧のように、人間椅子ならぬ空気椅子をしながら、リンゴを食らっている。

風呂で体を洗う時も、実践しているという。

観客のいらないパントマイムのようでもあり、なんでそこまで。と母は、りんごをもう一つ剥きながら、静かに思ったりもした。

長男は同じ身長でも体に筋肉があることで、重みを伴いつつも動きが早くなることを、錬成試合の猛者たちと交わって、身にしみたことだったようで、剣道と受験勉強の真っ最中の彼らなりに、食トレと筋トレを始めたのには、訳があるのである。

彼らの父は毎日のように走りこみ、腕立て伏せと、腹筋を鍛えていて、道具のいらない生身の鍛え方を長年実践しているが、走った後のほてった体で入る生ぬるい38度のお風呂が日課となっている。

私も、実のところ、意識的にも無意識的にも、粗食による食トレと茅葺職人修行という筋トレを細く長く続けていきたいのであるが、一気にここで、家族全体で、保温活動が活発になってきたようである。