友と語りて思うことあり。
彼女はこの世で出来うる限り自由になろうとしていた。
野に住むことを選び、野とともに生きている。
私もまた野にいでようと思う。
土に帰るということは、そういうことである。
それまで見かけなかった蛆虫がどっぽん厠に三匹いたという。
彼女が麺すらもよく噛んで飲み込んでいないからだと思ったという。
人の世で噛み切れないことがまかり通るようになると、そこからはい出そうとするものがいるように見えたという。
それから、蛆虫に詫びを入れるように、蛆虫の住む世界もよくなるように、米の飯を一粒一粒かみかみするように、百戒のように、百回一口ごと噛んで、噛んで、噛み続けたという。
蛆虫が、それから、とんと出なくなったという。
這い出す必要がなくなったということかもしれない。
あるいは、そこで大きくなり、立派な蝿になり、どこか遠くの匂いの元を探しに冒険に出たのかもしれない。
例えば、畑。
土塊の中に帰っていく、彼女の中を通っていったものが、土と水と太陽と種が混ざり合って大きな大根になるのを見届けるために。
彼女は大根に聞く。
いや大根が彼女にいいよと語りかけてくる。
そうして、大根は土から、彼女の中にまたやってくる。
土の人であることが彼女であるということ。
そのものであるということ。
野に出ていることが、彼女が自由ということ。
何も恐れることはない。
自由ということ。恨むこともない。呪うこともない。
ただ、自由ということ。