今春、九州新幹線の博多~新八代間が開業し、青森から鹿児島まで新幹線でつながった。
いままで東京~博多間でさえ通して乗車したことはなったが、せっかくなので一気に乗りとおしてみることにした。
乗車する列車は順に、鹿児島中央~新大阪間がみずほ600号、新大阪~東京間がのぞみ16号、そして東京~新青森間がはやて131号(こまち131号併結)である。
鹿児島中央を6時58分に出発し、新青森に18時33分に到着する長距離旅行であり、これまでの一日の移動距離の最長記録となる。
もちろん、北海道まで渡ればその距離はより長くなるが、今回は新幹線に限定し、青森までの旅行とした。
△S6編成
みずほ600号は鹿児島中央12番線から発車する。
普通車の窓側は満席だったため、奮発してグリーン車にした。
隣の11番線からは8時02分に新下関行きが出発する。
もともと山口県は九州と繫がりが深く、下関あたりから福岡市内まで通勤している人も少なくないが、このようなきめ細かい便が設定されている新ダイヤは興味深い。
朝食は駅弁。
薩摩鶏めし。
新八代付近は下り列車と同様、減速して通過していた。
熊本で多くの乗客がいたため普通車を見に行くと満席になっていた。
山陽新幹線はトンネルが多く、岡山あたりで少々飽きてきたが、岡山まで来れば新大阪まではあと少し。
宮原区にとまっている7連の205系を見て、新大阪定着。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
△S9編成
新大阪到着後、たくさんの人がS6編成を撮影していた。
みずほ・さくらは大人気。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
新大阪からは通路側だったので、睡眠。
いつもだと、2時間半が長く感じるが、今回は11時間の長旅のうちの一部だからか、さほど気にならず。
△Z9編成(左)
東京駅到着後に記念撮影。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
△J11編成
東北新幹線ははやて131号に乗車。
この列車で新青森を目指す。
△K42編成
隣のホームには200系。
東北新幹線は臨時ダイヤとなっており、はやて131号は東京駅を13時56分に出発し、途中、上野、仙台、盛岡以北の各駅に停車し、新青森には18時33分に到着するダイヤとなっている。
東京を定刻に出発すると、神田駅に進入する中央線T25が見えたが、久々に中央線を見たような気がした。
上野を出ると停車駅、到着時刻の案内が流れるが、「一部の区間にて速度を落として運転しております」「速度を落とした到着時刻をご案内します」との説明があり、まだ本当の復旧ではないんだなと思う。
那須塩原の手前で徐々に減速し、車窓の流れを見ていると、はやて本来の速度でないことは明らかであった。
いつもよりゆったりとした走りであるが、車窓には満開のさくら、水を張った田んぼ、春の景色を眺められた。
15時01分、新白河を通過したが、福島の車窓はいつもと変わらず。
15時11分、東北道と交差したが、上り方面は渋滞していた。
15時15分、房総色の209系を見て、郡山通過。
15時30分、屋根にブルーシートを被った家が数軒見られた。
15時32分、福島駅通過。
15時58分、広瀬川を渡ると仙台駅の乗換え案内放送があり「常磐線、仙石線、一部運転見合わせがあります」との説明があった。
案内放送は淡々としていたが、太平洋岸に甚大な被害を受けた区間があることを意味している。
16時01分、仙台定着。
16時36分、一ノ関を通過。
このあたりでも田んぼに水が張られ、トラクターが動いているのが見えた。
17時10分、E5系とすれ違う。
17時13分、盛岡駅に到着。
ここで少々停車し、はやて131号は17時26分発なのでホームを散策。
18時18分、七戸十和田駅を出発。
「つなげよう、日本。」のポスターの撮影地を通過。
18時27分、八甲田トンネルを出る。
18時33分、新青森12番線に到着。
長旅であったが、さほど疲れなかった。
現在、東北新幹線は臨時ダイヤだが、E5系が本領発揮した後、もう一度列島縦走をやってみようと思った。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
整備新幹線の歴史を振り返ると、鉄道を取り巻く社会・経済の影響を受け、昭和57年には事実上の凍結となったものの、昭和62年には凍結解除、しかし、その後も「ミニ新幹線」や「スーパー特急」といった整備方式で進められることになった。
凍結解除のあたりから記憶にあるが、スーパー特急方式はともかく、貨物列車が多く、東京からの距離を考えると時間短縮の小さい東北本線のミニ新幹線化は、本当にいいのかなぁと思っていたが、四半世紀を経て、いずれもフル規格で開業した。
振り返ってみると、紆余曲折あったが、フル規格による全線開業を目指してきたんだなと思った。
いままで東京~博多間でさえ通して乗車したことはなったが、せっかくなので一気に乗りとおしてみることにした。
乗車する列車は順に、鹿児島中央~新大阪間がみずほ600号、新大阪~東京間がのぞみ16号、そして東京~新青森間がはやて131号(こまち131号併結)である。
鹿児島中央を6時58分に出発し、新青森に18時33分に到着する長距離旅行であり、これまでの一日の移動距離の最長記録となる。
もちろん、北海道まで渡ればその距離はより長くなるが、今回は新幹線に限定し、青森までの旅行とした。
△S6編成
みずほ600号は鹿児島中央12番線から発車する。
普通車の窓側は満席だったため、奮発してグリーン車にした。
隣の11番線からは8時02分に新下関行きが出発する。
もともと山口県は九州と繫がりが深く、下関あたりから福岡市内まで通勤している人も少なくないが、このようなきめ細かい便が設定されている新ダイヤは興味深い。
朝食は駅弁。
薩摩鶏めし。
新八代付近は下り列車と同様、減速して通過していた。
熊本で多くの乗客がいたため普通車を見に行くと満席になっていた。
山陽新幹線はトンネルが多く、岡山あたりで少々飽きてきたが、岡山まで来れば新大阪まではあと少し。
宮原区にとまっている7連の205系を見て、新大阪定着。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
△S9編成
新大阪到着後、たくさんの人がS6編成を撮影していた。
みずほ・さくらは大人気。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
新大阪からは通路側だったので、睡眠。
いつもだと、2時間半が長く感じるが、今回は11時間の長旅のうちの一部だからか、さほど気にならず。
△Z9編成(左)
東京駅到着後に記念撮影。
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△J11編成
東北新幹線ははやて131号に乗車。
この列車で新青森を目指す。
△K42編成
隣のホームには200系。
東北新幹線は臨時ダイヤとなっており、はやて131号は東京駅を13時56分に出発し、途中、上野、仙台、盛岡以北の各駅に停車し、新青森には18時33分に到着するダイヤとなっている。
東京を定刻に出発すると、神田駅に進入する中央線T25が見えたが、久々に中央線を見たような気がした。
上野を出ると停車駅、到着時刻の案内が流れるが、「一部の区間にて速度を落として運転しております」「速度を落とした到着時刻をご案内します」との説明があり、まだ本当の復旧ではないんだなと思う。
那須塩原の手前で徐々に減速し、車窓の流れを見ていると、はやて本来の速度でないことは明らかであった。
いつもよりゆったりとした走りであるが、車窓には満開のさくら、水を張った田んぼ、春の景色を眺められた。
15時01分、新白河を通過したが、福島の車窓はいつもと変わらず。
15時11分、東北道と交差したが、上り方面は渋滞していた。
15時15分、房総色の209系を見て、郡山通過。
15時30分、屋根にブルーシートを被った家が数軒見られた。
15時32分、福島駅通過。
15時58分、広瀬川を渡ると仙台駅の乗換え案内放送があり「常磐線、仙石線、一部運転見合わせがあります」との説明があった。
案内放送は淡々としていたが、太平洋岸に甚大な被害を受けた区間があることを意味している。
16時01分、仙台定着。
16時36分、一ノ関を通過。
このあたりでも田んぼに水が張られ、トラクターが動いているのが見えた。
17時10分、E5系とすれ違う。
17時13分、盛岡駅に到着。
ここで少々停車し、はやて131号は17時26分発なのでホームを散策。
18時18分、七戸十和田駅を出発。
「つなげよう、日本。」のポスターの撮影地を通過。
18時27分、八甲田トンネルを出る。
18時33分、新青森12番線に到着。
長旅であったが、さほど疲れなかった。
現在、東北新幹線は臨時ダイヤだが、E5系が本領発揮した後、もう一度列島縦走をやってみようと思った。
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整備新幹線の歴史を振り返ると、鉄道を取り巻く社会・経済の影響を受け、昭和57年には事実上の凍結となったものの、昭和62年には凍結解除、しかし、その後も「ミニ新幹線」や「スーパー特急」といった整備方式で進められることになった。
凍結解除のあたりから記憶にあるが、スーパー特急方式はともかく、貨物列車が多く、東京からの距離を考えると時間短縮の小さい東北本線のミニ新幹線化は、本当にいいのかなぁと思っていたが、四半世紀を経て、いずれもフル規格で開業した。
振り返ってみると、紆余曲折あったが、フル規格による全線開業を目指してきたんだなと思った。