ブラックフェイス手帳

中央線201系 最後の軌跡

H23.12.10(土) 男鹿線

2011-12-17 | 東北
 北上線に乗った後、午後は男鹿線へ。
 24年前に北上線に乗った後も男鹿線に向かったのだが、今回も同じルートをたどった。



 男鹿駅到着後、こ線橋から乗ってきた男鹿駅を俯瞰。
 これまで男鹿駅の駅舎は海側にあったと記憶していたが、山側だった。
 駅舎、こ線橋、駅前の建物は記憶と同じなので、駅舎が移設されたわけではない。



 折返し出発するのを見て、船川港まで伸びていた貨物線跡を見に行った。



 男鹿駅の先に踏切があり、この踏切から100mほど先まで線路が続いていた。



 その先は線路が撤去され、荒地になっていた。
 写真は男鹿駅から5~6分歩いたところから男鹿駅方面を見たものである。



 さきほどの踏切に戻る頃、すっかり日が暮れた。



 秋田までの列車はキハ48-517+キハ40-530+キハ48-544+キハ40-570の4両編成。
 秋田までガラガラだろうと思ったが、船越、二田から乗車があり、各ボックスに1名が占拠する程度になった(キハ48-544)。
 秋田向きの流れもまったくないわけではなく、追分、上飯島、土崎からも乗車があり、秋田到着時には各ボックスが2名ほど埋まっていた。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 秋田からはこまち40号で盛岡へ。



 夕食は秋田駅の売店で買った「あきたこまち弁当」。
 売店の商品ラベルのそばに「このパッケージの女性は初代ミスあきたこまちです」という旨のメモ書きがそえてあったが、よく聞かれるのだろうか。



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