AMASHINと戦慄

~STARLESS & AMASHIN BLOG~
日々ブログレッシヴに生きる

エレファント・マン

2020年08月22日 | しねしねシネマ
映画の日だったこともあり、『カラー・アウト・オブ・スペース』観た後、同館でデヴィッド・リンチ監督の名作といわれる『エレファント・マン』の4K修復版も上映されていて、その怪しげなチラシデザインに以前からずっと気になっていた作品だったので、ついでに観ることにした。


まぁ、私が今まで観たデヴィッド・リンチ監督の作品といえば、ヤクやりながら撮ったとしか思えないような意味不明のものばかりだったので、この『エレファント・マン』も、得体のしれない悪夢のような怪人が主人公に強迫観念のように迫ってくるサイケでサイコな内容なんだろうと心の準備を整えて臨んだのであるが。


いきなり象が映し出されて、なんか悪夢にうなされてる様子の貴婦人が重なり合うという映像が出てきて、こりゃ冒頭からきてるなと。
おそらく象と女性が交わるという構図を表してたんだと思う。

で、これから先、どんな狂った映像を観さされるんだろうと身構えてたんですが、これが意外と普通にマジメなお話で拍子抜け。
まさかデヴィッド・リンチがこんなストレートなヒューマンドラマを撮ってたなんて、ちょっとビックリでした。


1980年作品だが全編に渡ってモノクロ仕立てで、舞台は19世紀のロンドン。
主演はアンソニー・ホプキンスで外科医の役。アンソニーはハンニバル・レクター三部作でしか演技を知らんのやけど、やっぱ若い頃から知的な役柄が似合う役者だったんだなと。
声はハンニバルと一緒、当たり前だが。
当時の術式の場面も出てきて、うわー昔って白衣もマスクも着用せんと、普段着みたいな格好で普通の部屋で手術が行われていたんだなぁ~ってもの珍しかった。
19世紀の頽廃したロンドンの街風景なんかも情緒があってモノクロ映像なもんだから、なんだか本当に19世紀に撮られた映像なんじゃないかという錯覚に陥ってしまう。
修復されてない映像を観てないからアレですけど、たしかに映像はものすごく綺麗で、80年代の古臭さは全く感じられなかった。


話はロンドンの場末の見世物小屋で、外科医のフレデリック・トリーヴスがたまたま奇怪な容姿の男を目撃したことから始まる。
興行師は彼をエレファント・マンと呼んで、大衆の面前で見世物として商売をしていたのだ。
フレデリックはその畸形人間を哀れに思ったのか、医学的な観点から興味を抱いたのか、彼を自分の勤めてる病院に引き取ろうとする。
そして、彼を手厚くもてなし人間としての尊厳を取り戻させようとするのだが・・・・


実はこの『エレファント・マン』、パンフレットによると、19世紀に実在したジョゼフ・メリックという畸形患者をモデルにしたものらしい。
実際、見世物小屋で虐待されていたかどうかはわからないが、慈善病院として創設されたロンドン病院の一室をあてがわれ生涯介護を受けていた患者だったとか。




まぁ以前から『ブラック・ジャック』や『きりひと賛歌』などの手塚治虫の医療マンガを読んでたので、こういったホルモンの異常かなんだかのフリークスもんの話は馴染み深いものがあった。
特に、顔が犬のように変形してしまう”モンモウ病”という奇病を扱った『きりひと賛歌』と今回の作品はわりと重なるものがあった。

手塚治虫中期の傑作医療マンガ『きりひと賛歌』。



犬の容貌になり果て、見世物小屋に押し込まれた主人公。
それでも「おれは人間だ!!」と抗い続ける。



チラシにもあるこのスリップノットを彷彿とさせるエレファント・マンの片目仕様の覆面はおそらく創作だろう。
これはスターウォーズの制作スタッフに依頼して作ってもらったものらしい。
ちなみにリンチ監督は、当時ジョージ・ルーカスに『スターウォーズ』の監督を依頼されていたのを断ったとか。




最初、覆面姿で無言でヨタヨタ歩くメリックの姿はほんとうに不気味で、いつ何をしでかすんだろうかという得体の知れなさを醸し出していたのだが、その覆面の下の肥大した醜い素顔を曝け出したとたん、とても哀れでどうしようもなく憶病で、しかも善良で実に繊細な心の持ち主であることがわかってくる。
実際どんな酷い仕打ちにあっても全くの無抵抗なのだ。
この悲惨な運命をもう諦めて受け入れているかのようなメリックのまなざしが、ほんと哀愁に満ち溢れていて印象深いものがあった。


後半で、病院の強欲な夜警がメリックを利用して一儲けしようと、見物料をとっていきつけの酒場の客たちを引き連れてメリックの病室を訪れ、そこで酒を無理やり飲ませたりして乱痴気騒ぎを繰り広げるのであるが、この場面を観て、石井輝男監督の同じフリークスを扱う『盲獣VS一寸法師』での虐待乱痴気シーンを思い浮かべてしまった。
江戸川乱歩の原作にこのシーンがあったかどうかは忘れてしまったが、石井監督はひょっとしたらこの『エレファント・マン』の映画を観て着想を得たのかもしれない。

サーカス団の団員仲間に無理やり酒を飲まさされ、たらい回しにされる一寸法師。



あと、見世物小屋の興行師の下で働く子役の存在感が印象深くて、たぶん天才子役なんだろうなぁってパンフを見たら、彼はなんと近年大ヒットした『ボヘミアン・ラプソディ』の監督を引き継いで一躍脚光を浴びた40年前のデクスター・フレッチャーその人だったりした。

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劇場版 宇宙からの色 

2020年08月12日 | ルルイエ異本
こういう映画が日本で上映されるのをずっと待っていた!


今回私が意気揚々と鑑賞してきたのが、ニコラス・ケイジ主演の『カラー・アウト・オブ・スペース ~遭遇~』。

まぁ普段だったらこんなB級感漂うSFホラーなどわざわざ観に行きはしない。
撮ったのはリチャード・スタンリーというマニアの間ではカルト的人気を誇っている監督らしいけど、私は全くあずかり知らなかった。

そんなホラー映画に疎い私が、このコロナ禍の最中躊躇なく映画館に足を運んだのは、この作品『カラー・アウト・オブ・スペース ~遭遇~ 』が、我が敬愛するH.P.ラヴクラフト原作の『宇宙からの色』(『異次元の色彩』とも)を映像化した作品だったからに他ならない。
しかし、邦題なんでカタカナにしたんかなぁ~・・・絶対『宇宙からの色』の方がカッコいいって!(そうでもない?)


『宇宙からの色』は、ラヴクラフト本人が一番の自信作と公言してた作品で、1882年アーカムに棲む農家の庭に突如落ちてきた隕石がもたらした恐ろしい怪異の物語。
まぁ彼は超形容詞の人だから、その土地に棲む生き物の身も心も蝕んでいく、宇宙からやってきたなにやら得体の知れないものの恐怖の物語を(結局そのものの明確な正体はわからないまま終わる)どうやって映像化すのか、非常に難しい題材だったのではないかと。




まぁいままでにラヴクラフト作品はちょくちょく映像化されてはいるんだが、原作からは随分とかけ離れたものが多く、ただのB級スプラッター、怪物譚に終始したあまり宇宙的恐怖の感じられないものがほとんどであったかと。
スティーヴ・キング原作の『ミスト』や、ジョン・カーペンター監督作『マウス・オブ・マッドネス』なんかはクトゥルー神話映画とは言われているが、やっぱクトゥルー好きとしては、邪神の固有名詞だとか、暗黒の書物だとか、なにか決め手となるアイテムが出てこないと、なんだかはぐらかされたような気分で終わってしまうのだ。
ただ、今回の作品はタイトルまんまやし、トレーラーを観る限りではなかなか期待が持てるものだった。

極彩色の悪夢…ニコラス・ケイジ主演映画『カラー・アウト・オブ・スペース─遭遇─』予告編



奈良のシネコンでやってくれていたのはありがたいね。
この映画館久々。名前変わってたけど。



封切三日間だけ、来場者にはステキなポストカードが配布された。
ただし、パンフはなし。残念。



三日間別々のポストカードが用意されてて、三日目のサイケなデザインのが欲しかったなー



まぁこのコロナ禍の時期に、こんな映画を観ようなんて人奈良じゃあせいぜい2,3人くらいだろうと4番スクリーンに入ると、まぁまぁ人が入ってて意外だった。
この人たちは何を思ってこの映画を選んだのかしら?ただのホラー好き?マニアの人?ニコラス・ケイジLOVE?
私はというと、もうクトゥルー好き丸出しの格好で、「やっぱ観に来てるよあっち方面の類のやつが」とか思われてたかどうかは定かではない。


アーカムの西は丘陵が荒々しく聳え、斧に切り込まれたことのない深い林の広がる谷がいくつもある。

暗く狭い渓谷があり、そこでは木々が異様に傾いていて、日差しにふれたことのない小川が・・・・・


と、もう冒頭のナレーションからして、原作を再現しようという気概に満ち溢れていてワクワクした。
本作は、原作のように19世紀のアメリカが舞台ではなく、すでにスマホが普及している現代の話で、言うなれば現代版『宇宙からの色』といったところ。
全体の流れとしてはよくあるSFホラーの展開で、別にラヴクラフトやクトゥルー神話の予備知識がない人でもホラー好きなら普通に楽しめる内容かと。
この映画を観て、SFホラーファンの人はジョン・カーペンターの『遊星からの物体X』を連想したかもしれないが、まぁあの映画もラヴクラフト原作の『狂気の山脈にて』をベースとした作品と言われているので必然のことであるかと。

世間ではニコラス・ケイジが徐々に正気を失っていく、ぶっとんだ演技が特に絶賛されているが、そこは監督が“発狂していく”という要素を原作の暗い感じまんまではなく、多少ユニークに演出した結果であろう。
クトゥルーTRPGの世界でも”正気度”というポイントがあって、クトゥルー神話の世界ではこれがかなり重要視されるのである。


まぁ『宇宙からの色』の原作は、舞台こそアーカムだが、特に旧支配者の固有名詞や暗黒の書などは出てこず、これはクトゥルー神話に属するものかというと、大いに疑わしい気がする。
が、スタンリー監督はこの作品をクトゥルー神話たらしめる様々なギミックを施している。

最初、いきなり長女ラヴィニアが湖の畔で石のサークルを作ってなにやら悪魔主義的な儀式を執り行ってるシーンが出てきて、いや、これはちょっといきなりやりすぎやろと思ったが、これは単なるキャラでアメリカによくいるオカルトファッション系のゴシック女子という設定なのだろう。
で、彼女が自身のコレクションで所持してるものの中に、あのアラブの狂詩人が著したとされる恐るべき禁断の魔導書『ネクロノミコン』が含まれていたりする。
終盤の危機迫る最中でも、その『ネクロノミコン』を開き、自分の体中に刃物で魔除けの記号みたいなものを切り刻んだりするんだが、彼女の持ってたものはアマゾンとかで簡単に購入できそうなペーバーブックみたいな安っぽいもので、当然ながら効き目は全くなかった。

あれならまだ私の所持してるものの方が神通力ありそうだ。



そしてこの呪われた土地へ調査に来たプロヴィデンス出身のイケメン水質学者。
ラヴィニアと湖の畔で遭遇していきなり色目を使う。ラヴィニアもまんざらでもない様子。
この水質学者の名前がワード・フィリップス。そう、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの名前をモジったものだ。
で、彼が上着の下に着てたのは、これ気づいた人少ないと思うけど、多分あれミスカトニック大学Tシャツ。

実は私も当日着ていったんだけど、誰が気づいてくれようか・・・



ラヴクラフトが小説の中で提唱した”未知なる邪悪な宇宙からの色”の再現は、ピンクがかった紫の気体という形で表していたが、まぁ映像としてはこれが精一杯だろう。
そこは大目に見るとして、スタンリー監督はクライマックスで、実におぞましくも見事な独自のエンターテイメント性溢れるホラー展開を盛り込んでいる。

後半、”宇宙からの色”がいよいよ邪悪な猛威を振るい始め、ついにガードナーの家族に悪意剥き出しの攻撃を仕掛ける。
この展開はほんとうにおぞましかった!言うなれば、親子のシャム化である。
悪魔の所業としか思えないような、おぞましい姿にさせられた妻と幼い末っ子を、夫ネイサンはそれでも必死で救おうと、二階の部屋へと隔離するのだが・・・

その後の展開、これも見事というほかなかった。
あの薄暗い隔離部屋にて、蹄を持つおぞましいクリーチャーが出現したときは、ゾゾ気立つと同時に、興奮して思わず「クトゥルフ・フタグン!!」と叫びそうになりました。
この場面を観て、英ブリチェスターの旧支配者アイホート、あるいは千匹の仔を孕む森の黒山羊“シュブ=ニグラス”の顕現を連想したのは私だけだろうか!?





あと、アルパカ。



ホラー映画にアルパカを絡ませたのは、おそらくスタンリー監督が初めてだろう。
いやいや、この監督なかなかおもしろい発想の持ち主だね。
この映画により、今回またクトゥルー神話に「アルパカ」という新たなアイテムが加えられたことを嬉しく思う。


次作『ダンウィッチの怪』も(これもニコラス・ケイジ主演)大大大大大期待!!
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追悼ピーター・グリーンさん

2020年08月09日 | ♪音楽総合♪
ちょっとタイミングずれましたが・・・

ピーター・グリーンが逝ってしまった。享年73歳。


まぁ最近いっぱいいろんな人が死にすぎて特に驚きはしなかった。
特別思い入れ深いミュージシャンってわけでもなかったので。
でも、「ああ、とうとう逝ってしまったか」という感慨深い気持ちにはなった。
寂しいことに、日本のTwitterのトレンドには全然挙がってこなかったけど。

ピーター・グリーンといえば、英国を代表するブルースバンドFLEETWOOD MACの創設メンバーであり、英国が生んだ最も偉大なブルースギタリストの一人とされるほどの人物で、ピーターの訃報を受け、ブライアン・メイ、ギーザー・バトラー、スティーヴ・ハケット、ポール・スタンレーなど、錚々たる面子が追悼コメントを発表している。
メタル、ハード・ロック系のミュージシャンにも信奉者が多く、ゲイリー・ムーアなどはブルースアルバムに傾倒していた頃「Stop Messin' Around」をカヴァーしてるし、JUDAS PRIESTはリフに感銘を受けたのか、「The Green Manalishi」をメタリックにカヴァーしている。
カーク・ハメットも大ファンらしく、かつてピーター・グリーンが使用していたのをゲイリー・ムーアが買い取ってThin Lizzyのアルバム『Black Rose』のレコーディングで使用したという1959年製レスポール「Greeny」を現在彼が所有してたりする。




まぁピーター・グリーンの名前を聞いてもピンとこない人が日本じゃ殆どだと思われるし、私自身ピーター・グリーンの凄さをハッキリ認識してるワケではないが、サンタナがカヴァーしたことで大ヒットした「Black Magic Woman」はピーター作曲で、個人的にはピーターの歌うオリジナルの方が断然渋くて好きだ。

Fleetwood Mac - Black Magic Woman, Stereo 1968-73 CBS 45 record.



FLEETWOOD MACは、高校の頃ホワイトブルースに傾倒していたうちの姉が企画盤的な『聖なる鳥』のレコードを持ってて、その中から何曲かいいなと思って聴いていたくらい。
15年前にソニーから紙ジャケリマスタシリーズが出て、「Looking For Somebody」が久々に聴きたいなと思って『聖なる鳥』だけ購入したんだが、こいつがめちゃくちゃ編集されていて、「Need Your Love So Bad」(これもいい曲だが)が5テイクも収録されてる代わりに、なんと「Looking For Somebody」がハショられてて発狂しそうになった。
その他のアルバムは廃盤になってからシコシコ買い集めてて、だいぶ希少になってたのでこんだけ集めるのには苦労した。




つか私FLEETWOOD MACのことをあまりよくわかってなくて、この帯見たらどっちも1968年作でどっちもデビュー作だという。
ピーター・グリーンズ~とただのフリートウッド・マックとを別物としているのか?
そもそもピーター・グリーンが率いてんのにバンド名は他のメンバーの名字だったりでややこしいんだよ。




しかしこのシリーズはLPジャケの再現度も素晴らしいが、音もものすごくいい。
この中で一番聴きやすいアルバムといったら、個人的にはやはりアメリカ編集盤である『英吉利の薔薇』かと。
ただ、名インスト「Jigsaw Puzzle Blues」や、哀愁感タップリの「Something Inside Of Me」など、三番目のギタリストであるダニー・カーワンが作曲した曲が割と多く、私はひょっとしたらダニー・カーワンが好きだったのかと。
スライドギターを得意とするダミ声が特徴のジェレミー・スペンサーの楽曲は明らかにあまり好みではない。


みたいな感じで、親父が亡くなってからあまり会話してなかった姉と、こないだ突如フリートウッド・マック論争を繰り広げてしまった。
まぁ論争というのは大袈裟で、どっちもあまりよくわかってないってことが確認できたくらいだ。
ただ、姉はピーター・グリーンのステージを生で観ているという点では負けを認めざるを得ない。


とまぁ、最近の冷めた姉弟の間に再び熱い会話をもたらしてくれたピーター・グリーンに感謝し、ご冥福をお祈りしたいと思います。

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