AMASHINと戦慄

~STARLESS & AMASHIN BLOG~
日々ブログレッシヴに生きる

Killers 永遠に

2024年10月28日 | やっぱりメタル!!
80年初頭よりNWOBHMの精神を崩すことなく、いまだメタル界のトップに君臨し続けるアイアン・メイデン。

そのメイデンの結成当時のヴォーカルだったポール・ディアノが66歳の若さで永眠。


1980年、ポール・ディアノはアイアン・メイデンの初代ヴォーカリストとして華々しいデビューを飾ったが、バンドがツアーで忙しくなるとプライベート(まぁ女がらみ)で支障が生じるという問題を抱えて、結局たった2枚のアルバムを残してバンドを去ってしまう。




メイデン脱退後も様々なバンドで音楽活動を続けてはいたが、まぁあまりパッとした活躍はなかったと記憶する。Killersの栄光にしがんでた印象も強い。

元オーバーキルのドラマー、シド・ファルクなども在籍していたPaul Dianno's Battlezoneでは、メイデンの頃とは別人の、ジェフ・テイトのような歌唱力を獲得していたのは驚きだった(実際クイーンズライチかと思たもん)。



容姿も早い段階から太り始め、頭髪の方もちょっとアレになってきて、気づけば同一人物とは思えない姿に変わり果ててしまっていたなぁ(晩年は車椅子)。

ブルースとポール。最近会ってたのかな?



アイアン・メイデンの音楽に触れたのは中学生の頃。
現ヴォーカリスト、ブルース・ディッキンソン期の「Aces High」のMVを目の当たりにしメイデンの虜になった。
なので最初に買ったアルバは5th『Powerslave』で、そっから遡って次々にレコードを買い求めていって、いよいよポール・ディアノがヴォーカルを務める2nd『Killers』を購入し最初に聴いた時は、ディッキンソンとの歌声のギャップにかなり戸惑った。
えらい投げやりでパンキッシュな歌い方やなぁと。そんでやたら「ア~~オ!」って雄叫びが多いなって。
とにかく全然タイプが違う。




まぁ自分、アイアン・メイデンに夢中だったのは中学生の3年間くらい。
アルバムは8枚目まででストップしてます。
その中で最終的に一番好きになったのが、やはりポールの歌う2nd『Killers』。


オープニングを飾るインスト「3月15日」からしてメチャメチャカッコいい。
そして間髪入れずスティーヴ・ハリスのリードベースがグイグイ曲をひっぱる「Wrath Child」の切り込みが絶妙でほんとうに興奮した。
16ビートを刻むクライヴ・バーの変則的なドラムワークも絶品。




ポーの小説からとった「モルグ街の殺人」は、個人的に当時一番好きだった曲で、大学の時組んでたバンドでスタジオで演奏した時はメチャクチャ気持ちよかった思い入れのある曲。




タイトル曲「Killers」の緊張感&疾走感といい、とにかくこのアルバムは演奏が物凄く尖がっていて、最初から最後まで息もつかせぬ勢いで駆け抜ける。
メイデンは1st『IRON MAIDEN』から「オペラ座の怪人」など、おもしろい構成の曲を演っていたが、まだバンドの演奏自体、地に足がついていないという状態だったと思う。
その不完全さを2ndで全て補い、1stで獲得した人気で勢いづいたまま完成させたのがこの名盤『Killers』って感じ。


ブルースのヴォーカルも好きだが、やっぱポールは粗削りながら初期衝動、若さゆえの強烈なインパクトがある。
まぁそういうのって、短命に終わるのが宿命なのかもしれない。


ただ、まだヘヴィメタルが黎明期だった頃の80年代初頭、ポールは我々多くのメタルファンに生涯忘れえぬ衝撃を与えたヴォーカリストのひとりであったことは間違いない。


R.I.P.  Paul Di'Anno
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BJ展 ~店外編~

2024年10月06日 | 名所ガイド、巡礼記
京都でのブラック・ジャック展は本日まででしたっけね。


実は伊勢丹の向いの自由通路の特設スペースでも、京都市立芸術大学の学生さんらが手掛けたブラック・ジャック二次創作作品が展示された『DESIGH & ARTWORKS展』が展開されていた。




BJのキーワードを散りばめたクリスタルななんか。



面白かったのがブラックジャックのマントの中身を想像して再現したもの。




手術器具等は当然の常備品であるが、メスとか薬瓶とかはブラック・ジャックの場合、護身用に使われることも多い。

少年時代、ダーツで鍛え上げた彼のメス投げは百発百中。



ヒョウタンツギの絵の入った領収書とか遊び心があっておもしろい。
ブラック・ジャックは医師の免許は持ってないが、一応車の免許は持ってたのね。




いつしかピノコがBJに送ったラブレター?実はいつも大事に懐に入れてるって設定?
『元気な女の子の育児』ってタイトルの本も、ピノコの育て方に悩んでるBJが読んでそうという発想だろうな。
注目すべきなのが表紙の女の子の絵。
これって、るみ子さん(手塚先生の娘)じゃない?(『マコとルミとチイ』参照)
ピノコはるみ子さんがモデルなんじゃないかと、ファンの間でよく語られているので。




あと細かいなーっと思ったのがマント右下のてるてる坊主。
私の大好きなエピソード「てるてる坊主」に出てくるやつと思われるが、BJのポケットには患者さんに手渡すためのてるてる坊主がいっぱい入ってるらしい。




まぁかさばるのでこんなにいっぱいのてるてる坊主をポケットに忍ばせるのは無理があると思うが。



オーストラリア出張記の資料も秀逸。



第117話「ディンゴ」で、BJがオーストラリアの荒野で新種のエヒノコックスに寄生され、その経過を日記にしたためてた。




最終的には自分で自分の腹を切開して手術するんだよね。



荒唐無稽さ満載ながら、医師免許を持ってた手塚治虫先生だからこそ創造しえた傑作医療マンガ(恐怖且つヒューマンコミックス)『ブラック・ジャック』。
展示場には通りすがりの女子高生なんかも足を止めて熱心に閲覧してた。


50年前のマンガながら、ブラック・ジャックは、この先まだまだ(きっと永遠に)若い世代に読み継がれていくことだろう。

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BJ展再び ~京都編~

2024年10月01日 | 名所ガイド、巡礼記
昨年、高速バスに飛び乗り、本木ヒルズの森タワー52階まで赴いたブラックジャック展。

その約1年後、うちから電車で4、50分で行ける京都伊勢丹7階にてはんなり開催。
そこに、またのこのこ出かけていった私の目的は、東京で売り切れてて買えなかった以下の2品を会場内の特設ショップで購入するためだったからにほかならない。


京都駅は昨年春のCoccoライブ以来だっけ?



伊勢丹名物階段イリュージョン。
しかしいつ来ても観光客クソ多いな。



京都でのブラック・ジャック展は、六本木のまぁ70%くらいの規模の内容で、BJの家の手術台に寝そべったりのアトラクション等はなかった。
原画展は一応閲覧して回ったが、東京で散々見たので早めに切り上げた。
まぁどうせ原画は撮影NGなのでレポしようもない。
とにかく私のお目当てはBJ特設ショップにあったのだ。
京都にはそれ以外用事はなかったのですぐ帰った。

なので、今回入手したBJグッズを以下に紹介して、この記事を〆ようかと思う。


どうしても欲しかった・・・・
ブラック・ジャックのバイスクルトランプ!
2000円以上はするかと思ったが、意外とお求め安かった。
京都のショップには数十個積まれてて、売り切れる気配は微塵もなかった。




やはりダイソーの200円BJトランプとはワケが違うね。
カード全部にBJの劇中で出てきたキャラクターたちが描かれている。
”ブラック・クイーン”こと、桑田このみ先生もちゃんとクイーンのカードにおさまってるね。




しかし、BJ読み込んでないとなかなかわからないマイナーなキャラが目立つ。
UFOの絵のやつなんか俺でもちょっと思い出せないぞ。
つか手塚治虫やヒョウタンツギ、椎茸先生、イウレガ星人とかがなかったのがすこぶる納得がいかない。




ヒョウタンツギは箱の封シールに使われてたけど。




まぁでも手塚先生はブラック・ジャック連載時、コミックが発売する度にこうおっしゃられてるんですけどね。





あとBJ50周年こじつけドリップコーヒー。
封を破らず保存しておきたいので、一生飲まないとは思うが。




3袋も購入したのは、いつか誰かにあげたらよろこぶだろうと思って。



ついでにブラック・ジャック黒カレーも。
これは宝塚北サービスエリアにも売っていて、以前そこを訪れた時は買うのを躊躇ってしまった。
今回は他にあまり買うものもなかったので、その日の晩飯にと購入。

まぁ200円以下のレトルトカレーよりは美味であった。
ブラックジャック黒カレーはどう作ってもうまいのだ。

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