さて、私の大きなカン違いのおかげで、パンパンになった足をひきずりつつ神護寺の険しい石段をいちもくさんで駆け下り、JRバスに飛び乗って京都駅ビルのジェイアール伊勢丹の3階まで馳せ参じたわけでありますが。
ここでは、『鳥獣人物戯画 meets グラマラス京都』なる京都伊勢丹と高山寺のコラボ企画が展開されていた。
鳥獣人物戯画グッズの品揃えは圧倒的にここの方が多かった。
両者かぶってるグッズがほとんどなく(缶バッヂくらいか)、それぞれの限定グッズにそれぞれの魅力があったかと。
御朱印帳などは、伊勢丹で売られてるやつの方がデザインがよかった。
つか仏閣巡りとか朱印集めに興味なしなしの私がこれを買ってどうする?
しかし、確かに『鳥獣人物戯画』はユニークで魅力的な画だとはいえ、カン違いして京都北の高雄山くんだりまでのこのこ出かけていくほどそんなに鳥獣戯画グッズが欲しかったのかと。
まぁ下の写真見ていただければ、みなさんの「なるほどね」「やっぱりか」「死ぬまでやっとれ!」という納得の言葉が頂けるかと。
そう、私が求めてやまなかったものとは、このデザインの鳥獣戯画グッズにほかならなかった!
高山寺を散策している時に、すれ違った参拝客の中で「鳥獣戯画の作者って誰なん?」みたいな会話をしているのが聞こえてきた。
それを聞いた瞬間、「なんだ、この人たち手塚治虫先生の『火の鳥』を読んだことないのか?」と、情けない気持ちになってしまった。
最近は教養のない人間が増えたものだと。
手塚治虫のライフワークでもあった壮大なスケールで描かれた超傑作『火の鳥 ~乱世編〈上〉~』。
実はこの作品の中に『鳥獣戯画』が描かれているのである。
時は平清盛率いる平家が国を治める平安時代末期。
そこに、都一の文化人と謳われた天台座主・明雲という僧が登場する。
彼は学侶・衆徒のみならず、武家や公家からも敬われており、詩人であり、そしてすばらしい画家でもあったそうな。
その他、哲学者、評論家、タレント・・・・と、あらゆる分野の文化人であった。
生前、手塚先生はやはりこの“日本最古のマンガ”である『鳥獣戯画』というものに、強い憧れというか、感心を示しておられた。
これほど独創的でユーモアにあふれたナウな技法を有するマンガ家が、700年前の日本にすでに存在したことに、やはり同じマンガ家として強い衝撃とジェラシーを感じていらっしゃったみたいだ。
NHK『鳥獣戯画』特番に出演した手塚治虫。1982年
「ぼくにも描けますよ」と言いたげな表情ですな。
で、今回はりきって伊勢丹に乗り込んだわりには、『手塚治虫 × 鳥獣戯画』コラボグッズは2点しか購入しなかった。
ステッカーとかポストカードもあったけど、イラストが一種類しかなかったし。
手塚先生が生前描いた鳥獣戯画ってこれだけなん?W3とかとコラボってるやつとか、もっとあるのかと思ってた。
またしても私のカン違いで、缶バッヂだと思って購入したマグネットセット。
それにしても・・・
700年以上前に、どっかのイラストレーター(手塚先生は仏画の大家だと推測している)が遊びで書いたようなマンガに色目を変えて飛びつき、限定グッズ欲しさに山寺や百貨店へと奔走する人間の浅ましさときたら・・・・
寺院の聖職者たちは、その物欲者の愚かな行動心理を最大限に利用し、入山料や拝観料をとって文化財の敷地内でべらぼうな値段をふっかけてグッズを売りさばく。
人間のやることなすことはけだものや鳥とまったくかわらん。
なぜ人間が万物の霊長なのか?ばかばかしいおもいあがりじゃと。
今日の1曲:『動物らしく』/ 坂本慎太郎
ここでは、『鳥獣人物戯画 meets グラマラス京都』なる京都伊勢丹と高山寺のコラボ企画が展開されていた。
鳥獣人物戯画グッズの品揃えは圧倒的にここの方が多かった。
両者かぶってるグッズがほとんどなく(缶バッヂくらいか)、それぞれの限定グッズにそれぞれの魅力があったかと。
御朱印帳などは、伊勢丹で売られてるやつの方がデザインがよかった。
つか仏閣巡りとか朱印集めに興味なしなしの私がこれを買ってどうする?
しかし、確かに『鳥獣人物戯画』はユニークで魅力的な画だとはいえ、カン違いして京都北の高雄山くんだりまでのこのこ出かけていくほどそんなに鳥獣戯画グッズが欲しかったのかと。
まぁ下の写真見ていただければ、みなさんの「なるほどね」「やっぱりか」「死ぬまでやっとれ!」という納得の言葉が頂けるかと。
そう、私が求めてやまなかったものとは、このデザインの鳥獣戯画グッズにほかならなかった!
高山寺を散策している時に、すれ違った参拝客の中で「鳥獣戯画の作者って誰なん?」みたいな会話をしているのが聞こえてきた。
それを聞いた瞬間、「なんだ、この人たち手塚治虫先生の『火の鳥』を読んだことないのか?」と、情けない気持ちになってしまった。
最近は教養のない人間が増えたものだと。
手塚治虫のライフワークでもあった壮大なスケールで描かれた超傑作『火の鳥 ~乱世編〈上〉~』。
実はこの作品の中に『鳥獣戯画』が描かれているのである。
時は平清盛率いる平家が国を治める平安時代末期。
そこに、都一の文化人と謳われた天台座主・明雲という僧が登場する。
彼は学侶・衆徒のみならず、武家や公家からも敬われており、詩人であり、そしてすばらしい画家でもあったそうな。
その他、哲学者、評論家、タレント・・・・と、あらゆる分野の文化人であった。
生前、手塚先生はやはりこの“日本最古のマンガ”である『鳥獣戯画』というものに、強い憧れというか、感心を示しておられた。
これほど独創的でユーモアにあふれたナウな技法を有するマンガ家が、700年前の日本にすでに存在したことに、やはり同じマンガ家として強い衝撃とジェラシーを感じていらっしゃったみたいだ。
NHK『鳥獣戯画』特番に出演した手塚治虫。1982年
「ぼくにも描けますよ」と言いたげな表情ですな。
で、今回はりきって伊勢丹に乗り込んだわりには、『手塚治虫 × 鳥獣戯画』コラボグッズは2点しか購入しなかった。
ステッカーとかポストカードもあったけど、イラストが一種類しかなかったし。
手塚先生が生前描いた鳥獣戯画ってこれだけなん?W3とかとコラボってるやつとか、もっとあるのかと思ってた。
またしても私のカン違いで、缶バッヂだと思って購入したマグネットセット。
それにしても・・・
700年以上前に、どっかのイラストレーター(手塚先生は仏画の大家だと推測している)が遊びで書いたようなマンガに色目を変えて飛びつき、限定グッズ欲しさに山寺や百貨店へと奔走する人間の浅ましさときたら・・・・
寺院の聖職者たちは、その物欲者の愚かな行動心理を最大限に利用し、入山料や拝観料をとって文化財の敷地内でべらぼうな値段をふっかけてグッズを売りさばく。
人間のやることなすことはけだものや鳥とまったくかわらん。
なぜ人間が万物の霊長なのか?ばかばかしいおもいあがりじゃと。
今日の1曲:『動物らしく』/ 坂本慎太郎
発想豊かな治虫さんも、古典に材を求める姿勢を学びました。
当方は、まったく違う分野から鳥獣戯画にたどり着きました。
古典に材を求める姿勢を学んだっていうか、『火の鳥』自体(全部で9編)、半分は日本史実の流れに沿って展開する内容ですので。
手塚先生なりのユーモラスな解釈で歴史上人物を描き、そこにSFや仏教観念を取り入れての発想の広がりが凄まじいかと。
漢字変換でたまに笑っちゃうようなものが出てきたりはよくしますね。
「僕にも描けます!」と言いながら、披露する前日まで必死にトレースして練習してる手塚治虫御神の姿を思い浮かべてまた笑いました(失礼すぎる妄想)。
周りに手塚マンガ好きがおらず、貴重な共感の声、大変嬉しく思います。
昨年はキチムシ、ブラックジャック展、火の鳥 望郷編の映画化と、テヅキチ的に忙しい一年でしたが、中でもダイソー巡りが一番の収穫でした。
現在、私のブログ「Mizumizuのライフスタイルブログ」で手塚治虫シリーズを書いてます。お暇なときご訪問ください。検索すればたどり着けると思われます。では!
ブログ拝見させて頂きました。
私の「この作品がおもしろい!」「手塚先生天才!」みたいなゴリ推しミーハーなノリではなく、資料から冷静に分析、特に手塚先生の人柄に触れてらっしゃってて、玄人味のあるしっかりとした文章で頭が下がりました。
まぁ私はこういった文章しか書けないので、それを面白がって下さってよかったです。