AMASHINと戦慄

~STARLESS & AMASHIN BLOG~
日々ブログレッシヴに生きる

きっかけは復讐

2006年12月29日 | 本わか図書室
Coccoが表紙の『広告批評』1998・6(NO.217号)をヤフオクで落札購入。
これはかなりの希少本であるかと。


1998年といえば、2nd『クムイウタ』がちょうどリリースされた頃で、私が初めてCoccoの音楽に触れた年でもある。




本書の内容はかなりよかった。
まず壁の隅に後ろ向きで立っているCoccoの表紙がシュールでええ感じ。
ほんでこの頃のCoccoの定番のファッションである水色のNIKEのジャージにGパンスタイルがいい。
ジャージ正面には“雛豚(ひよこぶた)すき”という、わけのわからぬ言葉がマジックで殴り書きされてある。
やっぱ変わった娘だ。




インタビューの内容もなかなかディープで、デビューして1年目の等身大のCoccoが浮き彫りにさており、Coccoを形成したルーツ的な背景などもかなり掘りおこしてくれている。

その印象深かった箇所をいくつか紹介しよう。

「バレリーナになるために東京にきた」

このことは今となっては周知のことだが、現在でも一番好きなのは踊る事らしい。
「やわらかな傷跡」のPVでも草原で伸びやかにバレイを踊っている姿が実に印象的である。
子供の頃はバレイ教室に通うためお金を稼いで全部自分で授業料を払っていたそうな。好きなことに打ち込む根性はハンパないのだ。


「最初は歌わされた」

Coccoは歌を歌うことは最初べつに好きではなかったらしい。レコード会社の人の前で歌ったら上手いと褒められたので、「作品にしたら儲かるぜ」「そりゃーいい」というノリで歌を作り出したのだという。
最初に作曲したのは「首。」。この曲は最初ビクターから拒絶されたそうだ。この曲を耳にしたプロデューサーの根岸孝宗氏が「あいつらバカだ。なんでこいつを世に出さないんだ?自費で俺が出す。」と言ってbounceレコードからEP『Cocko』がリリースされる。




「ただ自分が眠るために歌ってる」

疲れて寝ようとしたら、タンタターン♪ちゅう感じで字幕みたいに言葉が出てきて、それを歌にして出してやらないと眠れなかったのだそうだ。完全に歌の神様に魅入られたとしか思えない話である。
ほとんど垂れ流し状態で、出してない曲でアルバム作ろうと思ったら3枚は作れるのだそうだ。だったら3枚組アルバムとか出して欲しかったな。
英詩の歌も全部英語で出てくるのだそうだ。ちなみに英語は全然わからなかったらしい(ホンマか!?)。

ところで、沖縄には“ユタ”という霊媒師がいるのだが、子供の頃、Coccoにはユタの資質があったという。
他の人に見えてない人がいっぱい見えたのだそうだ。
ユタの人に「あなたはユタになりなさい」と勧められたが、母親が強く反対したのだという。
英詩の歌が降りてきた時にはCoccoの中には、英語圏の霊魂が憑依してたんではないだろうか?


「あっちゃん(Coccoの自分の呼び名)を捨てた人とか残して死んだ人とか、みんな後悔させるくらいの人になるぞって思ってた」

「復讐からなんにも生まれないっていうのは信用してないの。だって、Coccoは絶対復讐から始まってる。ほかに理由なんてなかったんだから。歌がすきだからとか、そんな理由、こっぱみじんもなかったし、ただもう、すごい人になって後悔させてやるってだけで。」

キレイ事や、体裁を整えるがためのカッコつけた事ばかりぬかしてるやつらに聞かせてやりたい痛烈な言葉である。
この辺が他のアーティストとかとは全然違う点である。
彼女にとって歌を歌うことは“自分が眠る”ため、そして“復讐するため”の手段に過ぎなかったのである。

私はこの記事を読んで、ブラックジャック19巻230話「復しゅうこそわが命」のエピソードを思い浮かべずにはいられなかった。

ブラックジャックが家族を殺したんだと誤解し復讐しようとする患者を敢えて自分のところに置いて、治療、リハビリを施すブラックジャック。



ただ、2nd『クムイウタ』の時点ではもう復讐しようという気持ちは消えてたのだそうだ。
それは歌うことによって“痛い”を出す事でやさしくなれるという事を1st『ブーゲンビリア』を完成させて気付いたからである。
確かにこのアルバムはCoccoのメラメラと渦巻くドス黒い復讐心が生々しく感じられる作品なのだが、女々しくてドロドロしてるというより、聴いていてなんか鬱積したものを全て吹き飛ばすような爽快感がある。
まぁ歌詞だけ読んでいると重いと感じるかもしれないが、Coccoのあの魂の叫びのような生々しい天然ともいえる歌声が、それを全て浄化させているのだと思われる。
それ程に彼女の歌声は強烈なのだ。


そして、Coccoは「復讐してる暇はない。自分のために生きるぞ。」と、達観するのである。


最後にCoccoはこうも言っている。

「でも、復讐するぞって戦ってた自分も嫌いじゃないし、いとおしい。それがなかったら歌おうとも思わなかったし、今のCoccoもいなかったんだしね。」


私もこの頃のCoccoがいとおしい。





今日の1曲:『首。』/ Cocco
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ゲロッパ!

2006年12月26日 | ♪音楽総合♪
ファンク界のドン、ジェームス・ブラウンさんが12月25日に亡くなった。享年73歳。

もうそんな歳やったんか~・・・・
死因は肺炎だそうです。

彼に関するぶっ飛ぶニュースといえば、数年前ええ歳こいてパトカーとカーチェイスを繰り広げてパクられたという事件以来だ。

映画『ロッキー』の影響で、“Living In America”を聴きまくってた小学生の頃を思い出す。




ご冥福をお祈りいたします。


今日の1曲:『Get Up That Thing/Dr.Detroit』/ JAMES BROWN
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6:00クリスマス・パーティー

2006年12月25日 | ♪音楽総合♪
ズッズッチャン ズッチャンチャン ズッズッチャン ズッチャンチャン

シックス・オクロック クリスマス・パーティー♪

シックス・オクロック クリスマス・パーティー♪


クリスマスになると、高校時代のメタ友あっさんがこのドリーム・シアターの“6:00”をよく上記のような歌詞で歌っていたのを思い出す。
大学に入ってから私が同じように歌っていたら、ドリムシフリークのじょにい氏に「あの冒頭の部分は「クリスマス・モーニング」って歌ってんねんぞ」と指摘されたが、私はあっさんを意志を受け継ぎ、今でもこの歌詞の部分は「クリスマス・パーティー」で押し通している。

まぁこの時期はワム!だのマライヤ・キャリーだの山下達郎だのユーミンだのバンド・エイドだのと、ベタなクリスマスソングがそこらじゅうで繰り返し流れててもうみなさんウンザリされているかと思います。
そこで、私がオススメする「これぞ!クリスマスソング!」な隠れた名曲を5曲厳選させていただきましたので、これらを聴いてみて少し趣を変えたクリスマスを過ごされてはいかがでしょうか?

って、またこのおこがまシリーズかーい!

「LUKTAR-GVENDUR」/ Bjork

この曲はビョークがアイスランドで彼女の親父と組んで作成された94年のジャズアルバム『Gling-Glo』からの曲。本作はアルバム全体を通してもクリスマスの雰囲気にとってもピッタリ。その中でも特にイージーリスニングなこのナンバーが最も相応しいかと。やっぱクリスマスにはムードなジャズでありましょう。




「EVE」/ DREAM THEATER

冒頭でも紹介した“6:00”が収録されているアルバム『AWAKE』のボーナスシングルCD収録のインスト曲。
イヴだけに。




「THERE'S NO LIGHTS ON THE CHRISTMAS TREE MOTHER,THEY'RE BURNING BIG LOUIE TONIGHT」/ THE SENSATIONAL ALEX HARVEY BAND

曲名とバンド名だけで解説より長くなってそうな勢いだが、わずか3分くらいのSAHBの72年作の1st『FRAMED』収録の喜劇的で陽気なナンバー。アレックスの酔っ払ったようなヴォーカルを聴くと、こっちもパーティー気分になってしまいますよね。




「千年紀末に降る雪は」/ キリンジ

アルバム『3』に収録されているAORな雰囲気のラストナンバー。「恋人はサンタクロース 意外と背は低い 悲しげな善意の使者よ♪」ってところのフレーズなんか、切なくてグッときちゃますね。暖炉の側で温かいシチューをご馳走になったような、なんか全て許せてしまえそうな、世界中の人々が皆幸せでありますようにと祈りたくなるような、そんなやさしい気分にさせてくれます。




「JESUS SAVES」/ SLAYER

「キリスト様が救ってくださる!彼が人の生死を決める!
力を失った悪魔が再びよみがえる!お前も付き従うのだ!
不敬!!そして冒涜!!」
やっぱスレイヤーは最高だぜー!!ケケケーーッ!!




メリークリスマス。




今日の1曲:『6:00』/ DREAM THEATER
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踊らない一寸法師に捧ぐ

2006年12月23日 | やっぱりメタル!!
前回の映画『盲獣VS一寸法師』の記事で、「この作品は江戸川乱歩作品の『盲獣』と、『踊る一寸法師』を掛け合わせたもの」と書いてしまったけど、正確には『一寸法師』だったんですね。
この作品はかな~り昔に一度だけ読んだ話だったので、もう内容の記憶は忘却の果てに消えておりました。まぁ自分にとってそれほどインパクトがなかった作品だったのかもしれません。
あの曲馬団での回想シーンは『踊る一寸法師』の内容が取り入れてあって、この作品はよく覚えておりました。だから“踊る”の方と勘違いしてしまったんですね。




確かにこの映画での一寸法師は少しも踊ってはいません。怪奇な存在というより、なんだかものすごく不愍で悲哀を感じさせる役どころだったと思います。
山野夫人を手込めにしようとしても兄貴に邪魔されたり、曲馬団ではいじめられ、最期には屋根から落っこちて死んでしまい、挙句の果てには明智の策略で女中殺しの罪を被せられるという、なんとも可哀想過ぎる扱われ方でした。
せめて山野夫人と一発・・・いや1回くらいは一夜を共にさせてやってもよかったのではないでしょうか?
(「橋本麗香の濡れ場シーンを見たかっただけやろ!」という邪推はお断りだ!)


さて、そんな哀れな彼に捧げたい一枚のアルバムを今日は紹介したいと思います。
それは日本の猟奇的ハードロックバンド人間椅子『踊る一寸法師』でございます。
このアルバムは彼らがメジャーレーベルとの契約が切れて、再びインディーズの地下に潜り込んだ時の5thアルバムなのですが、いやいやどうしてこれが名曲揃いの傑作アルバムなのです。




インファント島の住民が吹いている笛を意識した木目細かな音色の和嶋氏のギターソロが印象深いM1“モスラ”。津軽弁全開の歌詞に津軽じょんがら節とサバス趣味がこれ以上ない程絶妙にマッチした超名曲M3“どだればち”
ドライブ時のBGMには最適なMSGの“ARMED&READY”風ノリノリロッケンローなM4“ギリギリ・ハイウェイ”。おそらく目に見えぬエイズの脅威を歌ったと思われるドゥームナンバーM5“エイズルコトナキシロモノ”
鈴木氏のうだつの上がらない人生をパチンコの羽根モノに喩えて歌った出だしがユーライア・ヒープの“7月の朝”を彷彿とさせるフォークロック哀歌M6“羽根物人生”。エンディングのアルペジオとブルージーなソロが美しいM7“時間を止めた男”。今でもライブではアンコール定番のスラッシュナンバーM8“ダイナマイト”
そして最後を飾るのは、もちろん陰鬱怪奇を極めたタイトルナンバー“踊る一寸法師”である。


私が“踊る一寸法師”を初めて聴いたのは、土蔵のような造りの京都の由緒正しきライヴハウス磔磔での『踊る一寸法師のレコ発ツアーライブ』を見に行った時でした。
この時の“踊る一寸法師”を演奏する人間椅子の姿は、もう本当に鬼気迫るものがございました。
ブラック・サバスの“黒い安息日”を彷彿とさせるフレーズに、和嶋氏の狂ったギターの不協和音がこだまし、あやかしのベースラインを刻みながら「フヒャッハッハッハ!」と狂笑するブルーライトに照らし出された不気味に蒼白く浮かんだ慄然たる鈴木氏のニヤニヤ顔は私のトラウマとなり、私の脳裏に深く刻み込まれました。




会場全体が凍りついたような空気の中、この悍ましくも美しい怪演に、誰ひとり声も発することができずに、ただ茫然と見惚れておったのを、今でもハッキリと覚えております。
私もこの慄然たる光景を見たときは、なにやらゾっとする名状し難い一種異様な戦慄を感じないではいられませんでした。





闇に融けゆく 影法師ひとつ

人の道から 外れて伸びろ

きれいみにくい みにくいきれい

からくれないと 道化は笑う





今日の1曲:『どだればち』/ 人間椅子
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盲獣と触覚芸術論

2006年12月20日 | しねしねシネマ
アウアウアアア~~~

海女にポーズをとらせて“触覚芸術”の構想に耽る盲獣。変態である。

日曜日に『盲獣VS一寸法師』を見てから3日たちましたが、今度は自分自身の中で妄想が始まり出しております。
毎日あのシーンやら、このシーンやらモワモワ~~と浮かんでは消えてゆきます。

で、盲獣の最期のシーンでちょっと気になった事があります。
盲獣が海辺で海女3人にアワビを採る時のポーズをさせながら、彼の言う“触覚芸術”をアウアウアアア~~と考えてる想像の中の変態映像が映し出されるシーンがあります。
そこには彼が今まで手にかけた女たちが続々と出てきて、とてもドロンドロンなキチガイめいた変態世界が展開されているのですが、彼は目が見えないのに、なぜこうもハッキリと彼女たちの顔を思い浮かべることが出来たのでしょうか?
ひょっとしたらまだ目が見える頃に彼女たちを見たことがあったのかもしれません。しかし海女たちは恐らくその時が初めてだったハズです。
まぁ彼のことですから触手とその人の声を聞いただけで、どんな人物であるかは大体想像が出来たのでしょう。それほど彼は鋭い感覚を持っていたに違いありません。
でも想像の範囲なのですから、もうちょっと美しくて色っぽい女を想像してしまうのが男の性じゃあござぁませんでしょうか?
まぁ水木蘭子と海女たちは百歩譲ってそこそこ色っぽい女でしたが、あの真珠婦人の女力士みたいなプロポーションはちょっと頂けないでしょう。
想像通りでも想像したくありません。

だからこの想像シーンはもうちょっと色っぽい女優に演じさせてもよかったんじゃあないかと思ってしまうわけであります。
例えば、ほしのあき、小阪由佳、井上和香、トレイシー・ローズなどなど(ってそりゃオマエの希望やろが!)
まぁそれじゃあ見てる側が混乱してしまうので、やっぱあのシーンはあのままでよいのでしょう。

しかし、江戸川乱歩先生も海女さんからインスパイアされてこのようなエロティシズムを想像して描くとは・・・・
彼の妄想世界は宇宙のように計り知れません。

今日の1曲:『悪魔大いに笑う』 / 人間椅子
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盲獣VS一寸法師

2006年12月18日 | しねしねシネマ
近所のツタヤが100円セールをやっていたのでDVDを10本程かりてきました。
その中でめっちゃ私の興味をそそった邦画がありました。
その作品とは『盲獣VS一寸法師』
いや、このタイトルを見たらもう乱歩ファンやったらかりずにはおられんでしょう。
監督は石井輝男という方。

ここでいう“盲獣”というのは、盲目のあんま師のことで、いやらしい触手で相手を快楽地獄へと導く怪人です。
そして“一寸法師”というのは、曲馬団や見世物小屋なんかで見かける子供の体に大人の顔をくっつけたすばしっこい不具者のこと。
この両者が相争うっていうんですから私はもうこの作品に対する期待感でいっぱいで、あられもない妄想を膨らませたことは言うまでもありません。

家に帰ってさっそく鑑賞してみたのですが・・・唖然呆然リジー・ボーデン!!
別に怪人両者がガチンコ対決しているわけではありませんでした。
しかしこういうのが正真正銘の“エログロナンセンス映画”であるのだな~と。
ストーリーは乱歩作品『盲獣』と『踊る一寸法師』をうま~く掛け合わせたミックスものでかなり原作に忠実。
まぁこのような身体障害者を犯罪者に見立てた映画を一般映画館で上映したら物議をかもし出すことは間違いないでしょう。
まず冒頭の竹中英太郎氏描く幻想怪奇を極めた挿絵を背景に、気持ちの悪~いBGMとこの世のものとは思えない気色悪~いうめき声が聞こえるオープニングにヤラれました。
ほんで映画サークルの学生の作品かいな!ちゅーぐらいチープな映像(撮影期間は1ヵ月だったらしい)、日活ロマンポルノばりの昭和テイストな女優陣に目が点になりました。
この映画に出てくる女優たちは惜しげもなく裸体を晒しておるのです!唯一の美人モデルの橋本麗香さんのヌードを期待したけどそれはありませんでした。
役者の演技もセリフもめっちゃトウシロ感満開やなぁと思っていたら、主人公の作家先生役はイラストレーターのリリー・フランキー。明智小五郎役には映画監督の塚本晋也氏と、映画同好会、単なる乱歩好きを寄せ集めたかのようなキャスティング。
しかし、この吹き替えたような違和感のあるセリフの音声はなんなのか?!まるで紙芝居を聞いているようである。

ただ、盲獣役と一寸法師役はこれ以上はないだろうというくらいナイスなキャスティングだった。特に盲獣役を怪演した平山久能氏のキャラは強烈だった。
ヒョロっとした肉体美と不気味にしゃがれた声で見事な変態怪人を演じきっている。これであの原作で盲獣が歌う「イモムシご~ろごろ♪」の唄を歌ってくれていたならほんとたまらなかっただろう。

ラストになんと丹波哲郎氏が博士役で登場し、盲獣が海女で作った「触覚芸術作品」を見て「こんなものは・・・芸術ではぬわーい!!」と言ってステッキでぶっ壊すシーンは思わず爆笑してもーた。
『乱歩地獄』同様、オーソドックスな人にあまりオススメできる映画ではないけれど、非常に衝撃的且つアヴァンギャルドな変態映画であった。

盲獣。アウアウアアア~~~~~~ゆうてます。


オススメ度:★★★★★

今日の1曲:『踊る一寸法師』/ 人間椅子
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リリイ・シュシュ

2006年12月08日 | まったり邦楽
リリイ・シュシュは1980年12月8日に生まれた。
この日付はジョン・レノンがマーク・デビッド・チャップマンに殺された日時と一字一句符号する。
でも僕にとってこの偶然の一致に意味はない。
僕にとって重要なのは、その日、その時刻にリリイ・シュシュが誕生したということだけだ。
彼女の名前、“リリイ・シュシュ”。
天才。というより、宇宙。
エーテルの具現者。


これは岩井俊二監督映画『リリイ・シュシュのすべて』の冒頭で、沖縄の方言で歌われたリリイ・シュシュの“アラベスク”がバックで流れる中、チャットに投稿者フィリアが書き込んだ文章である。

ということで、今日はリリイ・シュシュの誕生日だそうだ。
もちろんリリイは物語上の人物で、歌っているのはSalyuという、今では厚生年金会館でライヴをやるほどの売れっ子女性アーティスト。

映画のオープニングで交わされるファンサイトのチャットの会話の中で、「(リリイ・シュシュ以外で)エーテルを音楽にした人って他にいる?」という問いに対して、「Bjork」とか、「UA」といった名前が挙げられている。
私も最初アルバム『呼吸』の1曲目の“アラベスク”を聴いた時は、真っ先にビョークの名前が頭の中に思い浮かんだ。
まぁ歌声はUAをもっと霞ませたような憂いのこもった感じで、空間を漂うような歌い方はビョークに相通じるものがあった。
おもしろいのが、この問いに「私は間違いなく椎名林檎。」と書いた投稿者に対して、「椎名りんごにエーテル?その感性、よくわからない。」とチャチャを入れる所がある。
これはメンヘラー的“痛み”を表現する音楽に対して、なんでも林檎と結びつけたがる人へのあてつけだろうか?
私がCoccoと林檎を同列に並べられるのを好ましく思わない感覚に似ていて、この監督の趣味がなんとなしに窺える。


作曲・編曲を手掛けた超有名プロデューサー小林武史のサウンドアレンジも素晴らしく、岩井俊二が作詞したリリイの“エーテル”という言葉で透過された詩世界(彼はこのアルバムではクリムゾンのピート・シンフィールドのような立場にある)を音によって見事に具現化している。
特に、“エロティック”“共鳴(空虚な石)”のギターアレンジなどは、『原子心母』~『おせっかい』期のピンク・フロイドっぽい音宇宙を彷彿とさせている。




まぁ小林氏のミスチルやMLLでの仕事ぶりには全く興味がないし、彼が全面的にプロデュースを手掛けたSalyuとしてのデビュー作『Landmark』にしても、あの大衆向けで少し無理を感じるSalyuの高音ヴォイスはなんだかピンとこないし、岩井俊二の他の監督作品もたいして面白くなかった。

思うに、映画『リリイ・シュシュのすべて』、そしてリリイの唯一のアルバム『呼吸』は、岩井俊二の創造した世界観(彼がリリイそのものなのだ)、それにインスパイアされた小林武史の卓越した音楽的才能が見事に結実し、Salyuという声のフィルターを通して(とにかくこの時の彼女の歌声はまるで映画の中のリリイが憑依したかのようである)共鳴し合い、この三位一体が見事な形で音像化した、正に奇跡の傑作コラボレーション作品だったんじゃないかなぁ。

またこの3人で2ndアルバム作って、リリイ・シュシュとして全国ツアーしてくれたらなぁ~と、叶わぬ空虚な願いをこの冬の寒空に漂わせるのであった。








今日の1曲:『アラベスク』/ Lily Chou-Chou
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新興宗教オモイデ教

2006年12月03日 | 本わか図書室
11月末で期限切れになるブックオフの100円割引券を消化するため、久々に小説を購入。
昔けっこうファンだった筋肉少女帯のヴォーカリスト大槻ケンヂ著の『新興宗教オモイデ教』という長編小説で、大変読みやすい内容だったので一気に読み終えてしまいました。
カヴァーイラストは丸尾末広さんですね。

その内容は・・・

主人公ジローの同級生だった不思議少女なつみさんが、“オモイデ教”という新興宗教の信者になってしまい、ジローも彼女に誘われるがままオモイデ教に入会してしまう。そこで“メグマ波”なる電波を使って人を発狂させてしまう「流誘メグマ祈呪術」という業を身につけ、“つまらない人間(悪しきもの)”を始末するという計画に巻き込まれていく。
そして他の宗教団体との泥沼の抗争へと発展していくのであった・・・

まぁいかにもオーケンらしいドロドロとした世界が展開されており、ところどころでオーケン個人の音楽的趣味のギミックが使用されているのに気づく。たとえば、主人公と中間というミュージシャンくずれの信者が談話するいきつけのバーの店名が「ポセイドンの目覚め」だったり。

筋少の詩世界も物語の随所にちりばめらている。
「新興宗教」というカルト的な発想は“僕の宗教へようこそ”、“新興宗教オレ教”など、筋少の詩の中ではもうお馴染みのテーマとなっている。
「つまらない人間を抹殺する」という発想なんかは“飼い犬が手を噛むので”の詩の内容そのものだし、「電波で人を殺す」という発想は“電波Boogie”、“妄想の男”の詩に出てくる。
あと物語の中で「トー様の足下にすり寄って来た猫のお腹がパックリと割れて、赤いバラの花が溢れだしたり」という下りは、筋少の楽曲を嗜んでいる者なら“猫のお腹はバラでいっぱい”の歌詞を思い浮かべて思わずニヤリとしてしまうだろう。
まぁ筋少うんぬんを抜きにしてもクセのある登場人物といい、わかりやすいストーリー展開といい、エログロナンセンスな描写といい、構成はかなりシッカリとしており、オーケンの卓越した文才が光るなかなかオモシロい物語です。(巻末の解説でも永井豪先生がマンガでそれを力説しておられます)

大槻ケンヂという人物は、インディーズ時代から新興宗教の教祖様というキャラ設定が好きらしく、カリスマというか、そういうキャラを自ら演じていた節があり、これは一種のコンプレックス、あるいは変身願望だったのではないか。
ナゴム時代のテクノバンド、空手バカボンのアルバム『バカボンのススメ』の冒頭でも、“バカボン教教祖伊集院明美”というキャラで登場したり、筋肉少女帯の名曲“キノコパワー”のPVでは、“ラリパッパ教教祖大槻ケンヂ”として登場している。



私も女の子としゃべれなくてクラスでハミってた高校生の頃、筋少の音楽と出会い彼を教祖的な存在として崇めていたような青い時期があり、筋少のアルバムは全て所持していたし、彼の詩集『リンウッド・テラスの心霊フィルム』なんかも購入するぐらいの妄信ぶりであった。
しかし、シングル『元祖高木ブー伝説』が爆発的に売れ、その独特のカルト的キャラにより人気を博しメディアに進出し始め、CMやゲーム音楽とのタイアップなどによる商業的な開き直り、気の弱さを売りにしているような胡散臭さが鼻につくようになり、第一に音楽そのものがつまらなくなったので(正直筋少がよかったのは『踊るダメ人間』までだと思う)もう大学に入った頃にはすっかり醒めてしまっていた。

この小説の最後の方に登場するオモイデ教の教祖“トー・コンエ”という山師的な人物がオーケンとかなり重なり合うものがあり、主人公ジローは彼と出会い、この開き直った教祖が実は単なる妄想家の小心者で、“つまらない人間を抹殺する”という名目を掲げてはいるが、それは自分がコンプレックスや嫉みを抱いている者に向けられてたものであり、結局はこの教祖も自分自身も“つまらない人間”のひとりであることに行き着くのである。

最後に小説の中でトー・コンエがジローに歌って聞かせる唄の歌詞を以下に紹介しよう。

誰も詩など聞いてはないし この世界が皆、作りものなら
青い月夜に緑色の マストを広げて旅に出ようか
パノラマ島へ帰ろう

これは筋少の大ヒットアルバム『サーカス団パノラマ島に帰る』に収録されている“パノラマ島へ帰る”の歌詞の一部が引用されている。
今聴くと、世間に認められなかった負け犬の逃避行を歌ってるような、むなしく暗い歌である。

まぁでも、こういうのキライじゃないんだよなぁ。



今日の1曲:『詩人オームの世界』/ 筋肉少女帯
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