AMASHINと戦慄

~STARLESS & AMASHIN BLOG~
日々ブログレッシヴに生きる

さよなら京都みなみ会館

2018年03月31日 | しねしねシネマ
さて、前々回からお伝えしてる通り、京都の歴史ある老舗の映画館京都みなみ会館も、本日を持って完全閉館。

京都みなみ会館は、パチンコ屋が入居していた時期もあり、外観があまりにも下品でヒドかったが、京都駅の一歩手前の東寺という場所がよくて、駐車場もタダだから、一応映画鑑賞が趣味のひとつだった20~30代の頃は車でちょくちょく通ってた。




最近イオンなどに入ってるシネコンは、確かに近所にあって便利だが、やっているものといえば中高生向けの邦画ばっかで、まぁほとんど用がない。
だから京都みなみ会館のような、ジャリ向けではない、いい作品を上映してくれる映画館が数を減らしていくのはなんとも寂しい。
まぁ完全になくなってしまうというんではなく、移転先を探しまた再開するという話なので、そこまで感傷に耽るほどのことではないとは思うが。
つか映画鑑賞そのものに興味をなくしてしまった今では、この度の閉館を惜しむ資格すらないのかもしれない。


映画好きはチラシ漁りもだいたい趣味である。



閉館間際のラクガキのクオリティーが高すぎる。



今回訪れると、今まで京都みなみ会館が発行してきたフライヤーが壁一面にズラリと敷き詰められてあった。
これらを順々に眺めながら、これまでこの映画館で観た作品を思い返してみた。



確か『オースティン・パワーズ』の試写会が当たったのがキッカケでこの映画館の存在を知ったんだっけ。
一作目公開ん時はまだその辺のシネコンでもやってなくて、こいつが世界的大ヒットをとばし、この後シリーズ『2』、『3』と一般的な劇場でも上映されるようになったが、金ばっかかけて超つまんなくなっていったのはご周知の通り。
私当時、第一作目のヒロイン役のエリザベス・ハーレイちゃんにゾッコンだったんよね。




マサラムービーブームの火付け役『ムトゥ踊るマハラジャ』を観て笑撃を受けたのもここだったな。その後調子に乗って『アルナーチャラム踊るスーパースター』を鑑賞しにいって「マサラはもうええわい!」ってなったけど。
その他、『花とアリス』、『アダプテーション』、『シティ・オブ・ゴッド』、『街のあかり』、『極悪レミー』、『SUPER』・・・・etc、後は『岩井俊二ナイト』とか、『タランティーノVSパク・チャヌク』などのオールナイトショーも何回か行ったっけ。
オールナイト上映は正直疲れるので、今の歳じゃもうムリかも。
でもそういうのしてくれる映画館てもうあまりないよね。


で、閉館までのラスト一週間は、京都みなみ会館が選ぶ(映画通が選ぶってことなのかな?)名作映画作品群を、1000円均一料金で上映していたので、木曜にちょっと気になる映画がやっていたので決算休みを利用してここでの観おさめとばかりにいってきた。




鑑賞したのは、深作欣二監督の68年のカルトムービー『黒蜥蜴』。
乱歩原作の『黒蜥蜴』を三島由紀夫が戯曲化したものを、これまた映画化したもので、女賊“黒蜥蜴”をまだ丸山の苗を名乗っていた頃の三輪明宏が演じることにより、異色のデカダンス風味が強調されたアーティスティックな作品に仕上がっている。
本作はソフト化はされてなく、以前いきつけのバーだったところ(バーの名前は“パノラマ島”)で、『黒蜥蜴』をコンセプトとした周年イベントに呼ばれた際に、ネット上で落ちてたのをすでに予習鑑賞済みであったが、35mmフィルムでスクリーンで観るのもなかなかオツなのではないかと。



うん、観返してみてやっぱ面白かった。
三輪明宏演じる黒蜥蜴は、どう観てもニューハーフの域を出ないんであるが(身体もゴツゴツしてるしね)、彼女(?)の持つ独特のナルシズム感が、黒蜥蜴のキャラクターをさらに強烈なものとしており、このいささかアホくさくキザったい男女恋愛もののストーリーを芸術的な域にまで昇華しているのだ。

「でも、心の中ではあなたが泥棒で、わたしが探偵だったわ・・・あなたはとっくに盗んでいた・・・」

最後のシーンで、思わず目頭を熱くしてしまったことを告白しておこう(俺って、だいたい二回目の方がくるんよね)。


この『黒蜥蜴』鑑賞で、京都みなみ会館最後のしめくくりにしてもよかったんだが、次上映の『恐怖奇形人間』もちょっと興味があって、乱歩ものだし、1000円だし、実は観たことなかったので、少し迷った挙句ええいとばかりに当日チケットを購入。

満員御礼。


・・・・・・・・
今週初めから風邪こじらせて病み上がりだったこともあり、さすがに2本連続のこの手のカルトムービー鑑賞は疲労がたまった。
石井輝男監督の江戸川乱歩全集シリーズのもので、『パノラマ島奇譚』をベースとした話に、『孤島の鬼』のグロテスクな部分を加味した感じ。
とにかく女の裸がいっぱいでてきて、序盤から展開がまどろっこしくて鑑賞しながら「ああ、やっぱやめときゃよかった」と。
『黒蜥蜴』は、古いながらまだ展開がスマートで、優雅なセリフまわしや音楽などで聴覚にも心地よく、アーティスティックな映像で目にもやさしいが、この『恐怖奇形人間』はコテコテというか、暗いというか、ケバいというか・・・
まぁ以前ネット上で知り合った映画マニアみたいな人に、石井監督の『盲獣』が素晴らしいとススメられて鑑賞したときにすでにこの頃の石井作品には苦手意識を持っていて半信半疑だったんだが・・・・
パノラマ島を映像化するには時期尚早の時代だったというか、まぁパノラマ島をこの時代のヒッピー文化的解釈で映像化した結果だといおうか、当時としてはセンセーショナルな映像だったとは思うんだが・・・男女がケツとケツをくっつけてるだけのをシャム双生児だと言われてもねぇ・・・・・
そして、最後のまさかの人間打ち上げ花火!!
生首に「おかあさぁぁぁ~~~ん!」のシーンには、笑いをこらえるのに必死だった。


とまぁ、自分の肌に合わないものや、奇をてらっただけの「なんじゃこりゃ?」みたいな映画もちょくちょく観たけど、やっぱ総合的にここで観た映画作品はおもしろいと思えるのが多かった。
ミニシアターっていうほどスクリーンが小さいというわけでもなかったし、なんといってもあのワインレッドのフッカフカのシートが、現在のシネコンじゃ味わえない昔ながらの極上の心地よさと空間を与えてくれた。


今までいい映画作品との出会いをほんとありがとう。

そしてお疲れ様。

また同じ「京都みなみ会館」という名で、このシックな内装でやってくれるのかはわからないが、再開してくれる日を楽しみに待っております。





今日の1曲:『かすかな希望』/ 坂本慎太郎
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犬ぢゃ!!犬ぢゃ!!

2018年03月26日 | しねしねシネマ
今週も行ってまいりました。京都みなみ会館。
今回観にいったのは、エログロ劇画家丸尾末広原作の『地下幻燈劇画 少女椿』。

丸尾作品がアニメーション化されてたって事実にも驚いたが、まぁこれがなかなか曰く付きらしく、1992年に制作されたもので、元々劇場公開を前提とした作品ではなく、当時神社境内や地下室でゲリラ興行されていたという。
で、1999年スペインのサン・セバスティアンで行われたホラー&ファンタジー映画祭で上映された後、成田税関でフィルムが没収・破棄されて以来、日本でのソフト発売・上映が禁止されていた伝説のアニメーション映画なんだとか。
まぁ丸尾作品読んでたら、そらそうなるやろとは思うが、ようは原作にかなり忠実に映像化されたってことなんだろうな。

今回は『カナザワ映画祭』というものの一環で、ギミック上映という形式、つまり劇場内になんらかの仕掛けを施してこの発禁映画を上映しちまおうという、なんとも大胆不敵で不埒な企画らしいということで、丸尾にわかな私でも怖いもの見たさについつい前売り券を購入してしまった次第である。




私の丸尾関連アイテムなんてこの程度。おもいっきりにわかですわ。
『少女椿』も昔本屋でチラ読みしただけ。



東寺駅で電車を降り、映画館に近づいていくと、駐車場の方でもうなにやら人だかりができてて賑やかな雰囲気だ。
どうやら駐車場が鑑賞客の待合場所になっているらしく、そこにちんどん屋みたいな格好した連中が場を盛り上げていて、最初はどっかの大学の演劇サークルの学生が学際的なノリでボランティアとしてやっているのかと思った。
しかしどうやらもうこの待っている時点からギミック(仕掛け)が始まってるらしく、チンチンドンドンよくわからない余興が繰り広げられていた。
やってる事が作品のイメージともだいぶかけ離れていて、正直苦手なノリでついていけなかった。



客の年齢層はかなり若めで20代の学生が大半を占めていたのではないかと。
ちょっと変わり者の行動派のやつとか、演劇やアートに興味のあるどこか意識の高い人とか、友達がなかなかできないガチの丸尾マニアとか、そういった類であろう。
ようはちょっとヘンタイな人たちだ(私はヘンタイではない)。

まぁしかし、この『少女椿』は、『アルマゲドン』観て涙流してるような健全な精神の者が観れば卒中を起こしかねないエログロな内容であり、両親を失ったいたいけな少女がオッサンに騙され、フリークやカタワモノが犇めく見世物小屋に入団させられ、そこの連中にいいようにこき使われ、あられもない虐待を受けるっていう、悪趣味以外のなにものでもないこのような作品を金払ってわざわざ観ようなんて連中がこんなにおるとは、ちょっとビックリだった。しかも割と女性が多かった。

上映予定時間より10分ほど押してやっと入場。
ちょっとした人間障害物を乗り越え階段を上がっていくと、館内はどうやら真っ暗な様子。

な、なんなんだよ・・・・・お札?



もうチケットもぎスタッフからこれ。誰も怖がってなかなか近寄れない。



会場に入るやいなや、なにかしら一種異様な雰囲気がたちこめていた。
私は一瞬、これはなにやら来てはいけないところに来てしまったのではないかという、激しい後悔の念に捕われたが、今更もう引き返せそうもなかった。



会場内は、白い帯やら赤い糸が張り巡らされており、通路を歩きにくいことこの上なかった。
座席もこの有様なものだから、来場者は困惑の色を隠しきれないでいた。



壁には妖怪変化の画がそこらじゅうに貼られていた。



ギャーーーーーッ!!!



そして、映画はなかなか上映されず、ステージ上では奇妙な人たちのアヴァンギャルドな舞踊が怪しいヴァイオリンの調べにのせて、延々と繰り広げられるばかりであった。
あの~、私ら映画を観に来たんやけど・・・・



上映開始のブザーが鳴り、演者が舞台袖にはけるとたちまち客席から拍手喝采。
暗転していよいよ映画がスタート。

いきなりドロドロとした効果音と共に、妖怪変化の静止画が延々と流れ、そこに紙芝居めいたナレーションが挿入される冒頭に、この先のアニメーション精度を疑うと同時に、まさにイメージ通りの映像、音響のレトロ感とおどろおどろしいこの雰囲気にワクワクしてる自分がいた。
これは、かなりいい作品なんじゃないかと。

まぁいつも通りの丸尾展開(て、オマエにわかやろ!)。
昭和初期テイスト&悪趣味極まりない。
虐待シーンはまぁエグいことはエグいが、ほぼ静止画でサラッと流されている。やっぱみんなあの子犬の残虐シーンにはゲロ吐きかけたかと。劇場で「うわっ!」と声を出してビックリしてる人もいらしたし、私もちょっと目をそむけたくなった。
しかし、過酷な物語の中でも、ちょっとしたシーンでのユルさや、アーティスティックで眩惑的なシーンなどで観る者を和ますところがなかなか巧みな映像作品でもある。
ねたみそねみであれだけイガみ合っていた見世物小屋の芸人たちだが、後半観客に「侏儒の分際で」とヤジを飛ばされブチ切れたワンダー正光が、「曲がれ~ぇ歪め~ぇ捻じれろ~!」と、観衆を幻術でもって阿鼻叫喚のパニック状態に陥れた時、よくぞ俺達の代弁をしてくれたとばかりに、芸人どもの間に一体感みたいなのが生まれたりする。ここは観てる側も「正光!よくやった!」という爽快な気分になってしまうのだ。

この観衆がパニックに陥いるシーンで、座席がブルブルブルっとバイブし出し、さっき上映前にステージ上にいたパフォーマーたちが客席に再び躍り出てきて、ウヂャーーっ!!とばかりに踊り狂うというギミック演出があって、実は画面にあまり集中できてなかったんだが、実はここでこの作品一番のグッチャグチャのエログロシーンが繰り広げられていることが、ネット上に落ちてた動画を見返して確認できた。
まぁでも、これがなかなか愉快だったりする。グロいことはグロいが、諸星大二郎的なユーモラスさもあって、まぁ『AKIRA』の最後の鉄夫の変化シーンに耐えられるんならそんなにキツくはないと思う。
あんだけ虐待しといてみどりがワンダー正光とともに小屋を去っていく時、激励の言葉を送ったり、涙流して別れを告げてるこの芸人どもの不可思議な愛憎関係もよかった。
あと、飛脚みたいな人物の「へっくし」のクシャミループは思わず噴き出してしまった。

それにしても、声優陣がみなイメージピッタリで非の打ちどころがなかった。
特にみどりちゃんのいたいけな声の感じと、ワンダー正光の高慢ちきなセリフ回しが素晴らしい!
まぁ生々しいみどりちゃんの泣き声は、ちょっとギスギス脳に響くものがあったが・・・

もう語りつくされてることかも知れないが、これを観たとき、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』へのオマージュを感じないではいられなかった。
山高帽のおじさんに誘われるまま、へび女、海鼠人間など、魑魅魍魎たるフリークどもが犇めく見世物小屋に入ってしまうシーンなど、まるで白うさぎを追いかけていって、狂った帽子屋や豚亀などのフリークどもが跋扈する不思議の国に迷い込んだアリスを彷彿とさせるものがあったし、侏儒の魔術師ワンダー正光の幻術によって、みどりが巨大化するシーンなどもそうだ。
『不思議の国のアリス』は実はけっこう好きな作品なので、『少女椿』にそういった要素を感じたのは、やはり私はどこかでこのエログロな作品を好ましく思っているところがあったかもしれない。
でも私はヘンタイじゃない。





バッドエンドなみどりちゃんのラストのクライマックスシーンで、再び踊り子たちが客席を跋扈し、桜吹雪が場内一杯にブワーーーッと吹き乱れ、映画は終演を迎えた。

60分にも満たない内容の映画であったが、不思議とモノ足りなさは感じなかった。
その短い時間に詰め込まれたこの眩惑的で怪しい丸尾ワールドの濃密さは、想定以上に凄まじかった。
先日観た『希望のかなた』より断然インパクトあった。この強烈さ、トラウマ感は、石井輝男監督の『盲獣VS一寸法師』を鑑賞した時の感覚に近いものがある。


是非パンフレットかなんか欲しかったが、どうやら物販はないみたいらしく、キツネ女に訊いても何も答えてくれなかった。



京都みなみ会館を出て東寺駅にトボトボ歩いて行く間も、あのみどりちゃんの歌う哀愁漂うエンディングテーマが頭の中でずっと鳴っていた。

いや、いいもの観たなぁ。




今日の1曲:『迷い子のリボン』/ 中美奈子
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アキたかも

2018年03月17日 | しねしねシネマ
昨年12月、京都MetroにてSalyuのライブを見に行った時、隣にいた若者2人が岩井俊二監督の『リリイ・シュシュのすべて』のことについて話しているのが聞こえてきたので、耳をダンボにして盗み聞きしていると、先日京都みなみ会館で岩井俊二ナイト(オールナイトでその監督作品ばかりを上映するやつ)を観たことを話しており、その会話の中で信じられない情報が私の耳に飛び込んできた。

「京都みなみ会館、来年の3月で閉館するってよ」

ああ、またしても古き良き時代の昭和の遺物がなくなってしまう・・・・




まぁ追悼記事はまた後日書くとして、今年に入ってから京都みなみ会館は様々なさよなら企画を催しており、今週はフィンランド映画の巨匠アキ・カウリスマキ監督強化週刊として、最新作(といっても昨年すでに上映されたやつ)『希望のかなた』が上映されていたので、男客1100円のマンデーに仮病を使って観にいってきた。てか、これは別にさよなら企画ではなかったのかな?
もちろんこの映画館ならではのこだわりで、シネコンのようなデジタルではなく、35mmフィルム上映ってのがオツだね。 
午前中に同監督作『ル・アーブルの靴磨き』も同時上映していたが、見てない作品だったらよかったのだが、こいつは3年ほど前に近所のシネコンで見たので。




まぁ今回の『希望のかなた』も、チラシを見て『ル・アーブル~』と同様、難民救済映画らしいっていうのは観る前からわかっていた。
アキ監督はどうやら“難民三部作”として、もう一本撮るつもりだそうだ。
本作はシリアの内戦からフィンランドに亡命してきたアラブ系難民がテーマに取り上げられている。

まず、『過去のない男』であの強欲警備員(名犬ハンニバルの飼い主)の役をやっていた役者さんが主役をはっていたのでテンションあがった。
あの仏頂面はまさにアキ作品にはピッタリ。
他にも、、『街のあかり』で見かけた女優さんや、マルコ・ハーヴィストとポウカハウタなどのカメオ出演にアキ映画好きはハッとさせられたかと。

映像のコントラスト、坦々とした話の運び、親切な街の人々、役者の感情のなさ、犬、バンド演奏と、良くも悪くもいつものアキテイストがフンダンに盛り込まれた内容。
まぁ個人的には新鮮味も意外性も感じられなかったというのが正直な感想。
だって展開が読めちゃいますものね。
『ル・アーブル~』の記事の時にも言ったけど、自分の中で最初に見て衝撃を受けた『過去のない男』が評価基準となってしまっているので、どうしてもハードルが上がってしまいモノ足りなく感じてしまう。
それに今回のは『ル・アーブル~』の二番煎じ感が否めなかった。かつ『ル・アーブル~』ほどスマートでもない。


オシャレな表紙のパンフは買わずにはいられませんわな。



中身も充実。



レストランのオーナーとデコボコ従業員たちが店の再起を図って始めた見よう見まねのすし屋のシーンは確かに笑えた。
これは、日本好き(というより小津安二郎好き)のアキ監督の趣味が色濃く出た場面かと思われるが、ただ、「ここで笑ってくれよ日本のみなさん」ていう、タランティーノの『キル・ビル』にも通じるあざとさを勘ぐってしまったのは、私が日本人であるが故のことだろうか?


そもそも、フィンランドに観光に来た日本人団体客が、わざわざ外国のインチキくさいすし屋に押し掛けるかっつーの!
いやいや、それもアキ一流のユーモアですよと言われたらそれまでだが。


今回やたらバンド演奏(あるいは弾き語り)のシーンが盛り込まれていたが、バンドマン自身はあまり物語には関わってなく、ただ監督が好きな音楽を挿入したかっただけとしか思えなくて、まぁそれもひっくるめてアキテイストなのかもしれないが、少々押しつけがましく感じられた。



登場シーンこそよかったものの、犬の役割もこの物語ではあまりにも希薄すぎた。



ヨーロッパでの深刻な難民の境遇を描くという問題提起を目的としたアキ監督の意図してることや意気込みはわかるんだが、ただただ困ってる奴と許せない乱暴者、そして親切なフィンランド人が露骨に描かれているだけというか、せっかくいい味の役者さんや素材がそろってるのに、なんか活かしきれてないというか。

う~ん、期待してただけに残念な内容だった(個人の感想です)。


オススメ度:★★★





今日の1曲:『SKULAA TAI DELAA』/ Dumari ja Spuget
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ビッグ・コミック

2018年03月08日 | 二酸化マンガ
十代の頃から、マンガ雑誌を購読するという習慣はないが、先日生まれて初めて『ビッグ・コミック』を買ってしまった。

どうやら『ビッグ・コミック』は先月50周年を迎えたらしく、それを記念して50年前に刊行した創刊号をまるまる一冊復刻し(ただし、都合により割愛されてる広告欄もある)、それを抱き合わせた特別限定セットを出すってんで、いくらマンガに興味失ってしまった私でも「なかなかビッグなことするじゃないか」と、心騒がされたわけですよ。




ビッグコミックが創刊されたのは、私がまだ生まれてもない頃で、1968年の2月29日。
「マンガは子どもが読むもの」と誰もがそう思っていた時代に、日本で初めて「大人が読むマンガ雑誌」として登場したのがこのビッグ・コミック。
このパイオニア的な雑誌創刊の一大企画に、白土三平、手塚治虫、石ノ森章太郎(この時はまだ石森と名のっていた)、水木しげる、さいとう・たかをと、まさにビッグな、当時トップクラスの錚々たる作家が名を連ねている。

        


確かに大人向けのマンガ雑誌だけあって、いきなりエロい。



裏広告。この頃日立のソリッドステートステレオ<ローゼン>が売り出し中。いい音そう。



この創刊号の中で、一番「大人」を感じれる作品だったのが、巻頭を飾る白土三平の読み切りマンガ『野犬』。


非常に読みやすく、野犬の俯瞰した視点から、人間と犬の関係性を語るといった趣旨のもの。
犬の行動はいたってリアルで自然な振る舞いに描かれているが、そこに勝手に犬の本音を付け加えるという。これがなかなかニヒルでおもしろい。
これをペットに「ワンちゃん」という呼び方を強要する愛犬家に読ませたらどんな反応を示すだろうか。
最後の結末はかなりひいたけど。


水木しげるは、世界怪奇モノシリーズ。
ドイツのとある小都市を舞台に、日本人が「妖花アラウネ」(マンドラゴラっぽい)をめぐって不思議な体験をする話。


ヴィジュアル的に一番アート性と独自性が際立っており、ヨーロピアンな街風景とか雰囲気があってほんと素晴らしい。
ただ、いかんせん、水木しげるマンガはどうも人物描写が弱い。よって物語にもあまり感情移入できない。ただただ不思議な話を読む。それだけ。


石森章太郎の『佐武と市捕物控』は、捕物帳時代劇を普通に描いてるもので特筆すべきことはない。
画はアシスタントをやってたのが影響したのだろう、モロ手塚タッチ。



そして、手塚治虫にとってもこれが大人向けマンガの出発点だったのか、この創刊号で『地球を呑む』の連載をスタートさせている。


まぁしかしこの物語、手塚マンガを漁っていた20代の頃に読んだんだが、内容をすっかり忘れてしまうくらいつまらなかった印象がある。
いわゆる冒険活劇もので、他の作者の作品よりはかなり壮大なスケールの物語ではあるし、女体も出てくるのだが、それまでアトムだのジャングル大帝だのワンダー3だのと、子供向けのマンガを描きまくってたものだから、まだまだそのノリが抜けきっていないというか、絵柄も含め、大人が読むにはチトしんどい。

で、この頃の手塚治虫というと、少年誌での人気がガタ落ち。手塚マンガはもう古いとされ、冬の時代を迎えんとしていた。

一方、さいとう・たかをが手塚マンガに対抗するべく生み出した“劇画”が大ブームとなってきていた。
この創刊号でも、さいとう・たかをの007風ハードボイルド読み切りマンガ『捜し屋はげ鷹登場!!』がメインディッシュとばかりに巻末に掲載されていて、扉ページも他のマンガとは違う紙質のいいカラー。あきらかに扱いが違う。

これだけ見るとさぶっぽい。


この翌年、『ゴルゴ13』シリーズが連載開始され大ヒット!今日まで約半世紀続くという・・・・
50周年を迎えた今月号にも第579話が掲載されているが、パターンは一緒ながら確かに続きが読みたくなる安定のおもしろさだ。


でもね、我らが手塚治虫も負けちゃいなかったんだよ。
このビッグ・コミック誌において、手塚は『I.L』、『きりひと賛歌』、『奇子』、『ばるぼら』、『シュマリ』、『MW』、そして『陽だまりの樹』と、その知性と変態性と構成力とが見事結実した、神憑り的な本格派の傑作アダルトマンガを立て続けに生み出してゆくのだ。
ドロドロとしたいわゆる“黒手塚”テイストが大爆発した時期だったのである。




これは、当時若者の間で流行していたという「アングラブーム」にも呼応したものであったかと。
本誌にもその奨励記事が掲載されている。



まぁ幼少の頃にアトムとかジャングル大帝とかの子供向けマンガをリアルタイムで体感した年代の方はおいといて、だいたいの手塚マンガ好きは、この冬の時代に描かれた手塚諸作品が一番おもしろいと口を揃えて言うのだそうだ。
没後、私が手塚マンガに傾倒したのも、ここらへんの作品に触れたからにほかならない。


なので、この辺の冬の時代の手塚作品を切りもせず掲載し続けたビッグコミックの器はビッグであり、その功績もまたビッグであるというほかないのである。


今日の1曲:『Send Me A Postcard』/ Shocking Blue
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