名古屋市美術館での
特別展
「没後90年記念 岸田劉生展」
に行ってきました!!!
あまり岸田劉生さんのことは知らなくても
学生の頃
美術の教科書などで何度も見た作品である
重要文化財の「麗子微笑」は知っている…
この絵を観てみたいと思って
前売り券を購入したのが
そもそもこの特別展に出かけたい動機だったんだけど…
チラシをしっかり見てチェックしておかない
いい加減な…もうゆるゆるな性格の私でありまして…
この
重要文化財の「麗子微笑」は
2月16日までの
限定公開だったそうで…
そんなことを…
名古屋市美術館に着くまで…
そして
この知らせを観るまで…知らなかった私…
知ったときは…れいこうこ…もとい…冷蔵庫のように固まってしまった私…
そんな「れいこく」な(冷酷な…)
…苦笑(麗子…だけにね…)
と思いつつも
そもそも
チェックしてなかった私が悪いんですが…
そもそもしっかりチェックしておかない
私が悪いんですが…
なんか…気の抜けた…
「炭酸の抜けたビール」のような…
「炭酸の抜けたコーラ」のような…
なんていうのかな
レストランでコース料理を頼んだら
メインデッシュが運ばれないような…
TVで野球中継みてたら
ちょうどいいところで…放送時間終了となり
CMが流れるような…
このような
まったく
微笑してない
岸田劉生さんの愛娘
「麗子」の絵は展示されてありましたが…
なんか…
ちと
がっかり…気分で…
私も…テンションが落ち込んで
だったら…
特別展の料金…
差をつけてよ…という心の声を押し殺しながら
「微笑」を浮かべることなく…???
みてきました…
まあ…展示内容は
生い立ちから伝記のように
作品が並べられており
飽きません…
それどころか
岸田劉生さんのことへの理解が深まる展示内容…
もし今後
岸田劉生さんの伝記が映画等で
描かれたら…
間違いなく…今回の展示内容が被さって思い出されてくるような
なかなかの展示でしたが
ここに…ここに…
重要文化財の「麗子微笑」さえあれば…
第一章「第二の誕生」まで 1907-1913
ゴッホの影響を受け、ゴッホ風のような作品を
描いていたんですね…
この頃の岸田劉生さんの作品…私は…惹きこまれるものを感じました…
第二章「近代的傾向・・離れ」から「クラシックの感化」まで 1913-1915
ゴッホから離れ、自己の目と頭で自然を見て描くようになった頃
友人たちにモデルをさせ
「劉生の首狩り」と呼ばれたとか…
どんだけ自分が好きなんだろうと思うくらいに自画像の連発…
自画像…
自画像…
自画像…
こんだけ
次々と
自画像を眺めてると
街ですれ違ったら
きっとすぐに岸田劉生さんだって分かるほどの…連続の自画像…
「黒き帽子の自画像」
岸田劉生さん
時空を超えて
今、スマホを手にしてたら
自撮りに夢中になっていたのかも…???
第三章「実在の神秘」を超えて 1915-1918
1916年に肺病と診断され
戸外での写生ができなくなり
室内で制作できる静物画を描くようになった頃
ここで展示されてた
「壺」
と
「壺の上に林檎が載っている」
この2作品の「壺」が…まるで
写真であるかのように
写実的で…浮き出てる感じもあって…
めちゃ素敵でした…
肺病と診断され
写生ができなくなっていたときの悔しい思い
その鬱憤が…この壺の柄を描くことに
凝縮されてる感じがして
感動的でした…
ホント
私の「ツボ」でした…笑…
「壺」だけにね…
第四章「東洋の美」への目覚め 1919-1921
まだまだ
肺病が続いていたのでしょうか
身近なものを描く…
病気と闘いながらも
身近な…家族を描く…
この頃になって「東洋の美」を追求し
麗子や村娘のお松をモデルに次々と作品を描いていく…
重要文化財の「麗子微笑」こそないものの
笑っていない…
「麗子」の画が次々と
半べそでありながらも
モデルを続けた幼少の麗子…
愛娘を描くことに
全精力を注いでいた父…
なんか…その背景を心象風景に浮かべると
目頭が熱くなる想いでした…
麗子の仏頂面は…この背景を知れば当然といえば当然…
だって…べそをかきながら
モデルになってたわけですから…
だからこそ…
余計に…余計に…
微笑んでる麗子を描いた画「麗子微笑」が観たかった…
第五章「卑近美」と「写実の欠除」を巡って 1922-1926
ここでは
京都に移り住んで描いた
掛け軸など…
もう…この頃には
写実的に描くことを捨ててしまった感じで
正直…これらの作品にときめきは感じられませんでした…
で
最終章
第六章「新しい余の道」へ 1926-1929
1929年9月に満鉄から招へいされ満州に渡り
岸田劉生の作品では
懐かしの…肺病を患って以来描いてなかった
風景画
これが
第一章でみた
ゴッホの影響を受け、ゴッホ風のような頃の作品とめちゃ似てて
明るい色彩と軽やかな筆触で
初心に還るか…と思いきや
帰国後の12月20日に38歳で急逝することとなる…
体調や…時代の流れに応じて
画風の変化にも気づかされる
伝記のような…素敵な特別展でありました…
あとは
重要文化財の「麗子微笑」さえあったなら…
ちなみに
こちらの麗子は
「れいわ」→「れいこ」と
このブログにありがちなオヤジギャグをかまして
ピースサインで微笑んでいましたけどね…
はい
「麗子微笑」を見逃したのは
私が「微笑(びしょう)」ならぬ「不精(ぶしょう)」だった訳で…
まあ…思えば
無礼講(ぶれいこう)ばかり
している私にバチがあたったようなもので…
これからは
ちゃんと事前に調べておくなど
れいこう(励行)に努めたいと…思っている次第で…汗
ここまで読んでいただきありがとうございました…
「おれいことば(お礼言葉)」を最後に添えて…笑
PS…ラストに畳みかけるオヤジギャグも
どーか、無礼講(ぶれいこう)で
特別展
「没後90年記念 岸田劉生展」
に行ってきました!!!
あまり岸田劉生さんのことは知らなくても
学生の頃
美術の教科書などで何度も見た作品である
重要文化財の「麗子微笑」は知っている…
この絵を観てみたいと思って
前売り券を購入したのが
そもそもこの特別展に出かけたい動機だったんだけど…
チラシをしっかり見てチェックしておかない
いい加減な…もうゆるゆるな性格の私でありまして…
この
重要文化財の「麗子微笑」は
2月16日までの
限定公開だったそうで…
そんなことを…
名古屋市美術館に着くまで…
そして
この知らせを観るまで…知らなかった私…
知ったときは…れいこうこ…もとい…冷蔵庫のように固まってしまった私…
そんな「れいこく」な(冷酷な…)
…苦笑(麗子…だけにね…)
と思いつつも
そもそも
チェックしてなかった私が悪いんですが…
そもそもしっかりチェックしておかない
私が悪いんですが…
なんか…気の抜けた…
「炭酸の抜けたビール」のような…
「炭酸の抜けたコーラ」のような…
なんていうのかな
レストランでコース料理を頼んだら
メインデッシュが運ばれないような…
TVで野球中継みてたら
ちょうどいいところで…放送時間終了となり
CMが流れるような…
このような
まったく
微笑してない
岸田劉生さんの愛娘
「麗子」の絵は展示されてありましたが…
なんか…
ちと
がっかり…気分で…
私も…テンションが落ち込んで
だったら…
特別展の料金…
差をつけてよ…という心の声を押し殺しながら
「微笑」を浮かべることなく…???
みてきました…
まあ…展示内容は
生い立ちから伝記のように
作品が並べられており
飽きません…
それどころか
岸田劉生さんのことへの理解が深まる展示内容…
もし今後
岸田劉生さんの伝記が映画等で
描かれたら…
間違いなく…今回の展示内容が被さって思い出されてくるような
なかなかの展示でしたが
ここに…ここに…
重要文化財の「麗子微笑」さえあれば…
第一章「第二の誕生」まで 1907-1913
ゴッホの影響を受け、ゴッホ風のような作品を
描いていたんですね…
この頃の岸田劉生さんの作品…私は…惹きこまれるものを感じました…
第二章「近代的傾向・・離れ」から「クラシックの感化」まで 1913-1915
ゴッホから離れ、自己の目と頭で自然を見て描くようになった頃
友人たちにモデルをさせ
「劉生の首狩り」と呼ばれたとか…
どんだけ自分が好きなんだろうと思うくらいに自画像の連発…
自画像…
自画像…
自画像…
こんだけ
次々と
自画像を眺めてると
街ですれ違ったら
きっとすぐに岸田劉生さんだって分かるほどの…連続の自画像…
「黒き帽子の自画像」
岸田劉生さん
時空を超えて
今、スマホを手にしてたら
自撮りに夢中になっていたのかも…???
第三章「実在の神秘」を超えて 1915-1918
1916年に肺病と診断され
戸外での写生ができなくなり
室内で制作できる静物画を描くようになった頃
ここで展示されてた
「壺」
と
「壺の上に林檎が載っている」
この2作品の「壺」が…まるで
写真であるかのように
写実的で…浮き出てる感じもあって…
めちゃ素敵でした…
肺病と診断され
写生ができなくなっていたときの悔しい思い
その鬱憤が…この壺の柄を描くことに
凝縮されてる感じがして
感動的でした…
ホント
私の「ツボ」でした…笑…
「壺」だけにね…
第四章「東洋の美」への目覚め 1919-1921
まだまだ
肺病が続いていたのでしょうか
身近なものを描く…
病気と闘いながらも
身近な…家族を描く…
この頃になって「東洋の美」を追求し
麗子や村娘のお松をモデルに次々と作品を描いていく…
重要文化財の「麗子微笑」こそないものの
笑っていない…
「麗子」の画が次々と
半べそでありながらも
モデルを続けた幼少の麗子…
愛娘を描くことに
全精力を注いでいた父…
なんか…その背景を心象風景に浮かべると
目頭が熱くなる想いでした…
麗子の仏頂面は…この背景を知れば当然といえば当然…
だって…べそをかきながら
モデルになってたわけですから…
だからこそ…
余計に…余計に…
微笑んでる麗子を描いた画「麗子微笑」が観たかった…
第五章「卑近美」と「写実の欠除」を巡って 1922-1926
ここでは
京都に移り住んで描いた
掛け軸など…
もう…この頃には
写実的に描くことを捨ててしまった感じで
正直…これらの作品にときめきは感じられませんでした…
で
最終章
第六章「新しい余の道」へ 1926-1929
1929年9月に満鉄から招へいされ満州に渡り
岸田劉生の作品では
懐かしの…肺病を患って以来描いてなかった
風景画
これが
第一章でみた
ゴッホの影響を受け、ゴッホ風のような頃の作品とめちゃ似てて
明るい色彩と軽やかな筆触で
初心に還るか…と思いきや
帰国後の12月20日に38歳で急逝することとなる…
体調や…時代の流れに応じて
画風の変化にも気づかされる
伝記のような…素敵な特別展でありました…
あとは
重要文化財の「麗子微笑」さえあったなら…
ちなみに
こちらの麗子は
「れいわ」→「れいこ」と
このブログにありがちなオヤジギャグをかまして
ピースサインで微笑んでいましたけどね…
はい
「麗子微笑」を見逃したのは
私が「微笑(びしょう)」ならぬ「不精(ぶしょう)」だった訳で…
まあ…思えば
無礼講(ぶれいこう)ばかり
している私にバチがあたったようなもので…
これからは
ちゃんと事前に調べておくなど
れいこう(励行)に努めたいと…思っている次第で…汗
ここまで読んでいただきありがとうございました…
「おれいことば(お礼言葉)」を最後に添えて…笑
PS…ラストに畳みかけるオヤジギャグも
どーか、無礼講(ぶれいこう)で