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写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

「ゴフン(5分)」も歩けば古墳にあたる…「仁徳天皇陵古墳」の廻りの陪塚をいくつか訪ねて…

2023-09-18 05:38:37 | 歴史史跡

大阪府初の世界遺産の「仁徳天皇陵古墳」の廻りを、ぐるっと一周ウォーキングしてたら…

やたら、あちこちに

「仁徳天皇陵古墳」以外の古墳にも出くわすのよ!!

 

まるで「犬も歩けば古墳にあたる」状態…

コフンだけに「ゴフン(5分)」も歩けば古墳にあたるのよ!!

 

このマップをみればお分かりのとおり、「仁徳天皇陵古墳」の廻りには、小さな古墳がいっぱい…

今回は、そんな古墳の中から、私が「ゴフン(5分)」も歩けば古墳にあたった、その古墳をいくつか紹介することに…

まずは、このマップのすぐそば…

大仙公園の片隅にある

収塚古墳

 

円墳のように見えるけど、前方部が削れられちゃっているようで、もともとは前方部を西に向けた帆立貝形古墳だったそうで

「仁徳天皇陵古墳」の模型には

このようにちゃんと帆立貝形古墳になってます

 

仁徳天皇陵古墳の陪塚

ちなみに陪塚とは大型古墳の周囲に位置する、同時代の小形の古墳のこと

築造時期は5世紀前半…墳丘長は59mに復元されており、後円部の高さは4.2m今ではわからなくなってるけど…濠もあったようで…

円墳のよーな帆立貝形古墳の廻りをぐるっと…

中には柵があって、入ってはいけない感じ…

感想はといえば、特になく「こふん…」…じゃなかった…「ふふん…」と思っただけ

続いて紹介するのは、「仁徳天皇陵古墳」の南、同じく大仙公園内の北側にあるにある

「孫太夫山古墳」

 

江戸時代の地権者・庄屋の南孫太夫という方が所有していたところから、この古墳の名前がついたらしい…

江戸時代から、古墳の廻りの濠水を一帯の灌漑用水とするために、代々の庄屋である南家が陵池の維持管理に尽力してきたようで

明治初期、後の堺市長・南治好が当古墳を国に寄贈したそうな…

 

廻りはお濠に囲まれている前方後円墳で

五世紀中頃の陪塚

幅10mほどの周濠があったようで、その周壕跡から出土した埴輪片が大仙陵のものと類似…
この結果により五世紀中頃築造の陪塚である可能性が高いよう…

今は、そのお濠が復元され、整備されてました…

後円部は宮内庁が管理し、前方と周濠は堺市が管理…とのことで、ここも墳丘に入ることはできません!

ぐるっと廻って眺めるだけ…

 

鳥がお濠にいました…当然、百舌鳥ではありません!!

 

最初、作り物、のオブジェかと思ってみていたら、突然、動き出したので、私、思わずトリ乱してしまいました…

 

 

 

木の生い茂る手前の丘が「前方」部……

葺石が綺麗に並べられ…整備されています…

 

感想はといえば、特になく「こふん…」…じゃなかった…「ふふん…」と思っただけ…

 

続いて紹介するのは、「いこいの広場」を挟んで「孫太夫山古墳」のすぐ横にある

 

「竜佐山古墳」

 

「仁徳天皇陵古墳」の南に接する西向きの帆立貝形古墳で、これまた五世紀後半頃築造の陪塚

 

 

 

幅10mほどの周濠があったようでその濠は「孫太夫山古墳」と同様、復元され、整備されたもの

 

この古墳も「孫太夫山古墳」と同様、墳丘は宮内庁が管理し、前方部の一部と周濠は堺市が管理してて、ここも墳丘に入ることはできません!

ぐるっと廻って眺めるだけ…

 

 

復元された緑の藻が、実に幻想的で、絵画みたいでありました…

 

遠くに見えるのが、平和塔

太平洋戦争での戦没者の慰霊のための塔で、登ることはできないよう…実は、「仁徳天皇陵古墳」が真上からみれるんじゃないか、見下ろせるんじゃないかと、ちょいと期待してしまったけど…

 

続いては

大仙公園西駐車場の横、大仙公園内の西の片隅にあるのが

「狐山古墳」

五世紀後半の円墳

陪塚で、この墳丘も宮内庁が管理、墳丘の中に足を踏み入れることはできません!

廻りにはお濠があったよう…ここは、濠の復元はなされていません!

なんでも、昔、大仙陵古墳の墓守が、猟師の流れ弾に当たった狐を助けたことがあったそうな…で、ある日、その墓守が墓を掘り返していた泥棒と取っ組み合いになり、濠へ投げ込まれてしまった…そのとき溺死しそうになった墓守を何者かが陸へ引き上げてくれたとのこと…次の日、濠の中を見てみると一匹の小さな狐が死んでしまっていたそうな…その話にちなんで狐山古墳と呼ばれているようで…

「コフン」ならぬ「コブン(古文)書」に、そう書かれていたのでしょうか…

 

さて、この後は大仙公園から離れて「仁徳天皇陵古墳」の周遊路を歩く…と…

 

また「ゴフン」も歩けば「コフン」にあたる!!

「銅亀山古墳」

仁徳天皇陵の西
一辺26メートル、高さ4.6メートル

の百舌鳥古墳群では数少ない「方墳」で

もちろん「仁徳天皇陵古墳」の陪塚

周濠の有無は不明

戦時中は古墳の上に高射砲の陣地があったらしい…

 

そして、最後に紹介するのは

「樋の谷古墳」

形状は不明…築造時も不明

古墳かどうかも疑問視する見方もあるとか…

この整備された場所も「樋の谷古墳」のあった場所でしょうか…

 

古墳のよーなオブジェ…

これは、古墳ではありません!!

 

他にも…マップをみたら、近くには「コフン」がいっぱい…

でも、私が立ち寄った「コフン」は以上…

立ち寄ったといっても、宮内庁の管轄の古墳なので

柵の中の墳丘に登ることが…どれもできなくて、

柵の中の、ここ踏んではいけないだろうし、そこ踏んでもいけないだろうし、あそこ踏んでもいけないだろうし…

こ踏んでも…そこふんでも…あそこふんでも…いけない…

もちろん、ネコふんでも…いけない…???

そう、「コフン」だけにね!!

 

 



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