妻籠宿のちょいと高台にある
光徳寺を参拝する…
山号は瑠璃山…臨済宗のお寺です…
実は、このお寺を参拝したい!!といったのが本来の目的…ではなくて…
この光徳寺が妻籠宿の中心に位置する桝形を見下ろす高台にあって…
江戸時代や明治時代を偲ばせる妻籠宿の全景を見下ろしたかったから…
もう…御覧のような石段を昇ります…
ひぃひぃふぅふぅと言いながら…
実はさほど、石段はたいしたことはないんですが…行ったのが真夏のこと…直射する日光が厳しすぎて…
滲む額の汗をぬぐいながら…
おお、この光景がみたかった…
ジオラマのような…タイムスリップした町並みを見下ろす…
バカは高いところに上りたがる…バカは高いところに上りたがる…バカは高いところに上りたがる…まさにそのとおりの性格なので…満足!満足!大満足!!
…と…せっかくここまで登ってきたので、江戸時代、中山道を旅して、この妻籠宿を通った多くの旅人がここで立ち止まって参拝したと思われる
光徳寺参拝を私も…
勅使門と思われる門は閉ざされていて、それを支える石垣は、あたかも城跡であるかのよう
しかし、通用門と思われるこの長屋門から境内に入ることができます
伝承によれば光徳寺は、1500年に悟渓和尚によって開山されたらしいが、寺伝によると1583年に開善寺の性天和尚が隠居所として薬師堂を設けたのが始まりとされるとのこと…
史料的には「本尊薬師瑠璃光如来奉刻彫勧進張」によって、1599年には京都の仏師木山によって彫刻された薬師如来像を本尊として勧請したことが記録されていることから、少なくとも、その年には建立されていたことが確実に認められるそうな…
そんな解説板
現在の光徳寺本堂は1725年に再建されたもの
境内の梵鐘と秋葉さんのお堂
光徳寺の鬼瓦を外して、永久に保存したよ…と言った解説板
今、載っている鬼瓦は、2代目??
庫裏は1682年に造営されたもので
その内部には天保年間(1830~1844)に、幕末から明治にかけてのご住職の遂応和尚が日本で初めて考案したという人力車の祖形とも言われる「車付駕籠」…それが吊るされていました…
さて、ここは中部四十九薬師霊場の21番札所であって
木曽七福神巡りのひとつ、恵比寿さまが祀られているのよ
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